Flamingo Moon
眠らぬ夜のメリーゴーランド。
陽が沈み、健常の光が消えた時こそ我が世とばかり、そこはいかがわしいネオンが愛想を振りまき、不夜城の炎に誘われた二足歩行の動物達が欲望もあからさま に闊歩する。
しかしいつもは猥雑な喧噪に涌き邪魔なだけの人の波が今日に限って閑散としている。
擦れ違う人々は店を物色することもなく足を早めて通り過ぎるか、自分同様何も知らずこの地を訪れた旅人は不安な眼差しで一夜の宿を探し求める有り様。街角 に立つ女達も早めに稼いで後は自宅でやり過ごそうというのか、客に送る流し目にいつもの狡猾な余裕はない。
時刻は宵の口、まさにこれからが華。
だが早々とシャッターを降ろしている店まである。
夜だというのに空の低さが異様に目立つ。
星ひとつ、満月であるはずの月すら見えない夜空には、全天を覆うように闇がとぐろを巻いている。ねっとりと渦巻く濃い密度にそのまま掴めそうでもある。
気圧の変化で耳が痛いのが不快だ。
天候など関係ない生活を長らくおくってきたせいでハリケーンの存在を失念していた。
街が沈黙する理由。
直撃ではないらしいがそれでも強い勢力を持つハリケーンがこの近くを通過するという。
歓楽街でさえ自然の驚異にはさすがに勝てぬとみたのかひっそりとしているのだ。外れた通りなどはそれこそ風の音が渦巻くだけの有り様だ。
至る所で地元警察のパトカーのサイレンが異様に明るく明滅している。夜半から未明にかけて外出禁止令が出るという。それまでにホテルに戻るようシャアもす でに注意を受けていた。
圧迫感に終始付きまとわれながら知った道を一層早く急いだ。
嵐の前兆の雨がぱらぱらと頬に冷たく当たった。
街を覆う狂騒から取り残された路地がある。
夜の女も、駆け出しの不良達さえ寄り付かない一風変わったその路地には一件だけの店がある。
存在の証となるのは唯一愛想のないビルの壁に埋め込まれた銀のプレート。
地下に続く暗く狭い階段を、茫と光が点る突き当たりまで降りていく。
すると、闇の中に店の扉の輪郭が現れるのだ。
扉は重厚で、開けると常に無愛想なバーテンがカウンター越しに視線だけの挨拶を寄越すのである。
常連と思われる誰かしら人が店にはいたが流行っているようには見えなかった。
どこよりも商売気の薄そうな店である。
それが嵐が来るというこんな晩にまさか営業していようとは。
自分でも信じられず、しかし扉の奥から暖かな光が漏れるのを確認した時は無愛想なバーテンしかいないと分かっていても遭難者が見つけた灯火のような安堵を 感じた。
雨に濡れたコートを脱ぎ、湿った髪を掻きある。
カウンターのいつもの席に腰を降ろすと口を開く前に酒が出てきた。
しかめっ面の顔と合う。「今夜はサービスです」
嵐も嵐の先兵も訪れないが、しかし隔絶された世界の深い静寂がここにはある。
さすがに今夜はシャア一人だけが客のようだ。
柱の裏で、天井の片隅で、客が無いのを良い事に影が支離滅裂にざわめいている。
バーテンはいつもと変わらぬ態度でグラスを磨き続けていた。
店内に低く響く囁く歌。
退役軍人が経営しているらしい。
そんな噂を常連客らの会話から聞いた事がある。
曲は幾世紀も昔から地球で歌い継がれる甘くセンチなメロディ。それがある日誰の趣向のものかロックともジャズとも取れる難解な曲に入れ替わる。
どこか不安定な選曲バランスは目の前のバーテンというより、元軍人だというそのオーナーの趣向ではないだろうか。ふと思う。
きっと偏屈な人物なのだろう。目の前のバーテンこそ蝶ネクタイを外せば軍人然としているのだが。
そう思ったところで他人をどうこう言える立場で無いことを思い出す。二度と来るまい‥‥‥。
いや、正確には二度と顔を出せない──。他人にそう思わせる騒ぎを起こしておいて、日を置かず無理をしてまで店に足を運んでいる自分はかなり滑稽で面の皮の厚い男であるだろう。
仕事柄定住のための住処は持っていない。
束縛が嫌いで決まった女もいない。が、今のところ女に不自由する事はなく、寝るためだけの女には名さえ必要としなかった。
あの時もそうだ。
任務がこの近くとあって、しばらく居を構えた街。
約束こそしていなかったが互いにその場限りを承知で持った関係の筈だった。
どこか惹かれるものがあって、その女とは珍しく逢瀬を繰り返していたのだが、出航が近付き別れ話を持ち出した途端、偶然入ったこの店で相手の女が騒ぎ出し た。乱れた髪。
罵声を発する紅い唇。
世界が敵と言わんばかり、手に触れる全てを手当り次第に床に叩き付ける女。
自分に向ければ良いものをそれが出来ず、物に八つ当たりする姿を冷ややかに見つめていた。沈む世界。
墜ちた星々。
無惨に飛び散った硝子の月。
ゼンマイが暴く夢の秘密。矛先がソレに向けられた時、初めて女の頬を打った。
翼をもがれた乙女が虚ろな瞳で自分を見ていた。
折れた針の奏でるいびつな音楽。
人形の、彼の、自分に向ける視線に一晩眠れなかった。
あれからどれだけの日が過ぎたのか。
多少の我が儘は融通のきく立場とはいえ、任務の合間をぬって民間定期船を乗り継ぎ地球に降りるという行為はやはり馬鹿げている。
足枷のない自由さを楽しんできたはずなのに。
今はその根無し草ゆえの足元の不確かさがなんと歯がゆいことか。任務地が更に遠ざかればさすがにこれ以上は続けられない。いずれはこの地へ帰ってこれると 知っていてさえ、僅かな隙間が開く事に渇望の思いで胸を焦がす。ただ一度出会い、視線を交わしただけ。
名さえ知らない。鷲掴まれるとはこのことを言うのだろう。
憎まれるのが当たり前でいつの間にか麻痺していた心の痛み。
ガードをすり抜けダイレクトに飛び込んできた彼の痛みは、自責の念で己の心をひどく揺さぶり、眠れない一夜を引き起こした。
抗いがたい何かがこの店に己を呼び寄せるのだとしたら、やはりあの視線、言葉の代わりに訴えかけてくるあの瞳なのだろう。
それを追ってこんな夜にさえ、来てしまった。
突如、突風が店内を駆け抜けた。
小さなステージのカーテンが暴れ、暴かれた影達が逃げまどう。吊り照明がキシキシと悲鳴をあげ、額が、グラスがガタガタと不安げに揺れた。
最後にシャアの頬を殴りつけた後、ようやく風はどこかへ消えた。
そして、再び静けさ。哀切の歌が店内に戻る。
扉口に合羽姿の男が立っていた。「ふー。参ったよ」
びしょ濡れの男はひょこりひょこりと奇妙な足取りでシャアを通り越し、そしてカウンターの奥の席に抱えた荷物を降ろした。結構な大きさであ るが大切な物なのだろう。降ろす手付きは最後まで慎重だった。
「こんな日に来ずとも、無茶をする」
誰の声かと思いきや、いつも不愛想なあのバーテンだった。いつ用意したのかバスタオルを男に差し出す。
「店の看板娘がいないんじゃ、様にならないだろ?」
バスタオルを受取りながら意外に明るい声がそれに答える。じっと様子を伺っていると合羽の下から覘く瞳と視線が合った。あの年若い青年の顔 が現れた。
「ハリケーンが来てる。今夜はもう帰れんぞ」
「三人で雑魚寝するくらいのスペースはあるだろ」
な、というように青年の瞳がシャアに同意を求めていた。
強い雨、唸る風。
気を抜けば足を掬われかねない猛る嵐がいよいよ外では起こっているのだろう。
風が当たるのか、時折扉がひどく揺れた。
ここにいるのは彼と己のみ。バーテンは姿を消している。三人分の寝床を整えに店の奥に行ったのだ。
あの日彼女が最後に壊したものは今日久方ぶりに店に戻ってきた。青年と共に。「オルゴール‥‥だったのか」
「オルゴール、とも違うんだけどね」
「君が造ったのか」
青年は照れたように微笑した。
人が軽く抱えられる程度の縦に長い木の箱だった。
その中に、あの人形がいる。
新しく命を受けた彼女の小さな翼にはどんな希望、あるいは夢が託されているのだろう。
彼の手によって電源が入れられると箱の中に小さな照明がともった。静かに歌が流れ始め、そのメランコリックなラブソングが世界と彼女を眠りの中から呼び覚 ます。
『Moon Flamingo』
そう名付けられた小さな夢のからくり箱。
良く出来た代物だった。
乙女は背中に生やしたフラミンゴの翼で、バラ色の夕の空をゆっくりと飛翔する。
いつしか空には祝福するように輝くきら星。
やがて三日月が交代し、乙女の飛翔に色をそえる──。
舞台の幕は下りても彼女の空を見据えた瞳には、本物の空が続いて見えているのか。
それは目の前の青年の希望でもあるのか。「──この間はすまなかった」
一瞬きょとんとした表情を浮かべた青年はすぐに微笑みを浮かべた。
「それはこの間の彼女に言ってやれよ。彼女が可哀想だ」
「‥え」
「たとえ一夜限りの相手だったとしても、だ。人の心は機械のようには出来てないんだぜ」
有無を言わせぬ強い意思が言葉にこめられていた。
そんな風に言葉が返ってくるとは予想していなかった。謝りもせずあの時自分は立ち去ったのだ。あるとしたら、もっと別の非難があるものだと思っていた。
青年の顔を見つめた。
遮るものがない以上、嫌でも彼の顔が良く見える。
端正の部類に入るだろう、彼の顔。「‥‥‥‥」
顔を引いたのは青年に髪を鷲掴まれたからだった。
後ろから強く引っ張られ、己の顔が必要以上に彼の顔に近付き過ぎていた事に気づく。もっと有り体に言えば、その気になりさえすれば今すぐにでも唇は触れそ うだ。
──いや、触れたのかもしれない。
だから彼はじろりと己を睨むのだ。「すまないって言っておいて、こういうの、最低だと思わないか?」
「‥ああ、そう‥だな。最低だな」
相手は誤摩化しのきかない同性。
なんだか妙な展開になってきた。
いくらなんでも酔うには早すぎる。「もしかして、いつもこんな風に自己中心でやってるわけ?」
「‥‥‥いや、そういうわけでは」
ではどういうつもりだったのだろう‥‥‥実際。
無言の圧力というものだろう、らしくないと分かっていても剣幕に押されて身じろいだ時、視界の隅で何かが傾いた。
あっと思う間もなく派手な破砕音が床に響く。
青年の引きつった視線がぎこちなく床に落ち、そして再びシャアに向いた。
その時の顔は───。
店の奥まで響いたのか、バーテンの青年を呼ぶ声が聞こえた。ああ‥‥。
君はアムロというのか。泣かすために来たのではないのに(まだ泣いてはいないが)。
どうしてこうなってしまったのだろう。
レンガ壁に埋め込められた小さな銀板。
夕刻、そこに文字が刻み付けられているのを見つけたならば、そこがbar「Flamingo Moon」の入口だ。
- Flamingo Moon -「シャア×アムロのパラレル話」
リクエスト5番:匿名Y 様◇◇◇ Y 様リクエストありがとうございました。
バーテンのイメージはヘンケン艦長で(笑)
ラストの二行が個人的には好き。というかそれが(店の名前含む)書きたかったのです。
それに見合うよう修正に修正を重ねていたら関係ないところが私の癖かやはり必要以上に長い話に。
あ、肝心な事を。
『Moon Flamingo』は自動人形師ムットーニ氏が製作した実在の作品です。
す、すみませ〜ん!こんなところで使ってしまって!