花 宵
知る人ぞ知るギリシャの秘境とも秘かに呼ばれる聖地サンクチュアリ。
女神アテナを絶対とするこの地では男子に比べて女子の数はめっぽう少ない。そしてめっぽう強い。時には己以上にやたらと強い。彼女らに挑んで無惨に散った 青少年の数は現在進行形で増えている。
健やかに育ち春を迎えた青少年達にとってこの状況は、辛い。
ともすれば暴走しがちの溢れんばかりのエネルギーはまるで暴れ馬のようなである。たちの悪い事に、修行で身体を酷使すればするほど身内の焔は研ぎすまされ て、一層メラメラと燃え上がるのだ。
禁欲を貫こうという者は別として、そんな熱情に惑うた者が火照りを冷ますために取る行動。
それは街に下り「とある所」に熱を置いてくる事だろう。
熱を置いてくる代わりに心に病を貰ってきてしまう奇特な者も時折いるが、最もポピュラーかつ簡単な方法だ。山を降りるのは大変だが。
一方で街に行かずとも目の前にいるじゃないかと隣近所で済ませる者もいる。
ちょいと可愛いとか頼ってみたい兄貴タイプ、そう思わせる相手が側にいようものなら──。
その心の中はたちまち「恋」の虜(きれいに慎ましく、遠回しに言えば、であるが)。
だが健やかに暴れ馬を飼っている彼らに目をつけられた相手はどうだろう。
中にはやはり馬(狼とか別の獣の場合もあるが)を飼っていて「こちらこそよろしく!」なんて者もいるだろうが、当然「ごめんなさい」もあるだろう。
アフロディーテ。
彼もそんな「ごめんなさい」の一人だった。
紅を引いても引かなくても本物の少女より美少女で通用してしまいそうな中性的容貌。
そんな彼が涼しげな顔で訓練場や水場でも通り過ぎようものなら、それこそ気の有る無しに関わらず注目されてしまうのは当たり前だ。すでに枯れたかつての青 年でさえ春を思い出してしまうだろう。
かくしてアフロディーテの認知の外で今日も小さな焔が生まれ、馬が暴れるのだ。
薔薇の花びらを幾重にも散らしたような鮮やかな夕暮れはすでに記憶に遠く、空は黒炭色に溶けていた。白い欠けた月が浮いている。
その日アフロディーテが聖闘士居住区にある粗末な住居に戻ってきたのは夜も更けた頃だった。
普段ならとうに戻っている筈が夜半過ぎても姿を見せないアフロディーテを心配したのだろう。サガが小屋の入口で待ち構えていた。「いったい誰がこんな事を‥」
サガは秀麗な顔を曇らせた。
むっつりと黙り込んだアフロディーテの頬に打たれたような痕を見たからだ。
アフロディーテは黄金聖闘士である。少年と言う若さであってもそこらの聖闘士が束になってもかなう相手ではない。そう易々と傷を付けられよう筈がない。
しかし次にアフロディーテの口から出た言葉は、サガの憂いすら吹き飛ばすものだった。「‥‥押し倒された」
「!!」
「‥痛ッ」
アフロディーテの苦痛の声に慌てて力を抜く。驚くあまり指が食い込むほどの力でもって彼の華奢な肩を掴んでしまったのだ。
謝る。しかし言葉はどうあっても聞き捨てならないものだ。「いったい誰に」
詰め寄るサガにアフロディーテは顔を背けた。まるで言いたくないとでもいうかのようだ。だがもちろんこれで終わらせる気などサガにはない。
怪我は無いのか、それよりも酷い事をされていないか、とにかくその無事を確かめようと嫌だと逃げ打つ身体に手をまわす。その間もなお問い詰める。
しかしアフロディーテはいつになく頑だった。いつもならそれこそ些細な事さえ洩らさず話してくれるというのに、サガの寄せる心配に邪険と言ってもよい。
その態度に次第に不安と苛立ちを募らせる。
嫌な考えが脳裏に浮かぶ。まさか相手の行動を許して──きたと、いうのか。
サガは自らの考えに強い不快を感じた。
アフロディーテがまだ誰とも情を交わす気がない事は自分が一番良く知っていた筈だ。
知っていたから守り、大切に、常に傍にいて‥‥。「‥‥‥」
しかし酷い仕打ちを受けたという形跡はない。
それはやはり。
サガの様子に異変を感じたのか。
アフロディーテがふわりと邪険な態度を解いた。「大丈夫だよ。未遂。殴り倒してやったから」
そしてようやくアフロディーテが相手の名を告げた。その顔に悪戯っぽい勝ち気な笑みを浮かべて。
「笑い事じゃない!どうしてお前はっ!」
激昂していた。
聞き出した名はサガも知っている男だった。
笑みの綺麗な男だった。力は到底サガに及ばない。当然アフロディーテにも。
サガの心配を他所にアフロディーテはあの男に親しみを寄せていた。優しい男ではある。「あれほどあの男には気をつけろと言ったろう。それなのに優しいからって簡単に信用して!」
「煩いな!何もなかったって言ってるだろ!それに今更。知ってたならはっきり言えばいいじゃないか!」
「私の言う事を無視していたのはお前だろうっ。私は心配して」
「心配、心配って。サガはいつもそればっかりだ!」
「それのどこが悪いっ。お前が大事だから私は──」
「サガが、悪いんじゃないか!!」
「なっ、何故私がっ」
突然の言い掛かりにサガは憮然とした。
「みんなが僕の事どう見てるかなんてサガが隠さなくたって知ってるよ!」
「‥‥‥」
「僕は聖闘士だ。たしかにまだ僕は子供かもしれないけど。自分の身は自分で守る。それが一人前の聖闘士だって、サガだって言ってるじゃない か」
それなのに、と思いつめた眼差しをサガに注ぐ。
「──は、僕を綺麗だって言った。好きで、だからしたいって。サガには、僕は魅力的じゃない?」
「!!」
アフロディーテが悲しげな表情でサガを見上げた。
「‥‥‥双魚宮に帰る」
黄金の聖闘士は12人。
その正体を知る者は同じ聖闘士であっても極限られている。
中でも守護の最後の砦となる魚座を司る黄金聖闘士。
そのピスケスの称号を戴いてから、アフロディーテは双魚宮の傍らに居を与えられた。
自分にはまだ過ぎた物のような気がして、だから急時でない今は聖闘士居住区にある小屋と行ったり来たりの生活をしている。
サガはもっぱら下にいる。
当然アフロディーテも下にいる事の方が多い。人気の無い双魚宮はそこかしこ冷たい。
冷気はそのままアフロディーテの寝室にまで忍び込み、水のような空気を張っていた。月明かりが大窓を通して冴え冴えとした影を室内に落とす。
自分こそ嫌な思いをして帰って来たというのに、どうして責められなくてはならないのだろう。
サガにこそ恐かっただろうって、無事で良かったって声をかけて欲しかったのに。
恋の好きではないけれど、彼には好意を持っていた。
だから薄々彼の気持ちには気がついていた。彼が苦しんでいた事も。
興味本意やそれだけを目的で近付いてくる連中とは明らかに違っていたし、関係を壊したくなかったから知らない振りをしていた。
けれど──。
彼の事は好きだったから、苦しんでいた彼に応えてあげたかったけれど‥‥。
自分を守るため、隠していた力を使ってしまった。
きっと彼は後悔している。
そして自分も。
もう少し上手いやり方があったはずなのに。
そこまで分かっていても、もう、彼と今までの関係に戻る事は出来ないだろう。
歴然の力の差は、最下に近い聖闘士と黄金聖闘士という形で2人の間に修復出来ないヒビを入れてしまった。『やっぱりそうか‥‥。君は、そうだったんだ』
彼の悲しみと悔しさの混じった顔。
心を許せた友達を失った、それが悲しい。
その悲しみをサガなら、分かってくれると思っていたのに。
ベッドの中、ブランケットを巻き付けて胎児のように丸くなる。
人の気配に閉じていた瞼を開けた。「サガ‥?」
「‥‥そうだよ。そのまま聞いてくれていいよ」
ベットの隅にサガが座る気配がした。
「君に謝らなくちゃいけない」
「‥‥‥‥」
「嫉妬をしたんだ。傷付いただろう君の事より、嫉妬に自分を失った」
「‥‥‥‥」
身体に重みがかかった。
サガが上掛けの上からアフロディーテを抱きしめたのだ。「私も他の連中と変わらない。魅力的じゃない、なんて。‥‥そんなこと、あるわけがない」
小さな、それでいて熱のこもった声だった。
アフロディーテはきつく巻き付けていたブランケットを緩めると顔だけ覗かせた。「本当はずっと、こうしたかった」
唇にサガの熱が触れた。
サガとは今までも何度かしたことがある。
挨拶と遊びの域の他愛無いキスではあるが。
けれど今受けているのは、それよりももっと深いものだった。明らかに違うそれ。
すぐに離れたが、また同じように繰り返された。「けれど私を慕ってくれているのに裏切るようで。だから彼が羨ましくて、妬ましかった」
「だったら触れてよ」
こんなに近くにいるのに。
「アフロディーテ」
「‥‥‥そしたら誰も、僕に手出し出来ないじゃないか」
黄金の、ジェミニのサガの恋人なら。
サガの微かに震える指先に、ブランケットが解かれていく───。
- 花 宵 -「サガアフロ (絵or文)」
リクエスト9番:はるま 様◇ ◇ ◇ 最近(?)ぽつりぽつりと書いている、サガの反乱のないアナザーワールドでしょうか。
これって、もしかしなくてもサガとアフロの初の‥‥‥な話ですね。
いや、照れちゃいます(笑)
サガがアフロディーテを呼ぶ時。
「お前」?「君」?
どっちで呼ばせるのが最適だろうと考え、迷った挙げ句状況に応じて変えてみました。
たったこれだけでも距離感が変わるのでやはり言葉って難しい。
はるま 様リクエストありがとうございました。