… 花が咲く2 …





        マクロスと共に冥王星にまで来てしまった。
        その現実のあまりの非常識さに、クルーの日頃の悩みも吹き飛びそうだった。先の見えない未来のうえに、普通に考えれば到底生きて地球にたどり着けない距離 である。ともすれば悲壮感に苛まれかねないロンド・ベル隊だった。
        しかし子供達の前向きな心が艦内を包み込み、子供の声の賑やかさが大人達の心を慰めていた。時に修学旅行気分を戒める必要に迫られる事もあったが、それで もいたって良好である。




        戦いを終えた機体が次々とデッキに戻り格納されていく。後方を守って最後に辿り着いたのは、白と金の二体のモビルスーツ。エースパイロットのアムロとクワ トロだ。滑るように着艦する手腕は、多くの戦いをくぐり抜けてきた証。

        「お疲れ様〜」

        「お疲れさん」

        格納庫ではいたる所で互いの無事を確認する声と、早速遊びに誘いだす子供達の笑いがさざめいていた。

        「お疲れ様」

        背後から声をかけられ、クワトロは振り向いた。白いパイロットスーツに身を包んだアムロがそこにいた。

        「君もな。アムロ大尉」

        クワトロも返事をしたものの、それきり二人は沈黙した。
        公用以外で二人が声を交わしたのは数日ぶりだった。食堂などで互いを確認する事は幾度かあったが、忙しさにここ数日はすれ違いの日々が続いていた。
        クワトロもアムロもそれぞれに重い役割を持ち、自由な時間はあまりない。だからこんなすれ違いの日は初めてというわけではない。
        ただ今回は言い争いの事が事だけに、言葉を交わす機会はあったものの、相手に声をかけるのを躊躇っていた。現にこうして向き合っている今も、どう取り繕え ば良いのか糸口が見つからず、互いを探り合い言葉を探している状態だ。
        言いたい事は山ほどあった。互いに動向を気にしていたのも知っている。それにもかかわらず言葉が出ない。
        これが皆が一目置く、ロンド・ベル屈指のエースパイロット二人の誰も知らない生の姿だ。皆と同様悩み、日々手探りで生きている。

        「‥‥‥‥‥」

        「‥‥‥‥‥」

        クワトロはかける言葉もなく、ただそこに立っていた。
        アムロを傷つけるのは私だけでいい。だが私は彼を傷つけたくない。それはあの日の出来事以来、クワトロの脳裏から片時も離れない劣情にも近い感情だった。 そしてその感情が彼と自分の隔てられた長い距離が、これ以上遠くに離れる事を恐れさせる。
        いつからこんな情けない男に成り下がったのだろう。わかっていても、次の行動に踏み出すことすら出来ない。
        クワトロは自嘲のため息をついた。

        「‥‥‥‥」

        目の前でつかれた溜め息をどうとったのだろう。先に動いたのはアムロだった。戸惑いから憮然としたものに表情を変えながら、何か伝えた気に口を開く。しか しそのアムロも結局言葉は見つけられなかったらしい。かわりにますますその顔は不機嫌となった。最後にはひと言も口に出さないまま怒ったようにクワトロか らつと視線を外し、床を蹴った。
        ふわり、とアムロの小柄な身体がクワトロの前で浮き上がる。
        躊躇いに足を掴まれたクワトロは、拒絶ともとれるアムロの態度に胸をうずかせながら、ただぼんやりとその身体が通り過ぎるのを待った。手を伸ばせばまだ間 に合うというのにだ。

        情けない‥‥‥。

        ちらりとクワトロを一瞥したアムロの瞳は、そんな事を言っているようだった。
        すれ違い様、アムロの指先がクワトロの肩を掠める。
        その刹那だった。



         馬鹿にして‥‥‥



        クワトロの身の内を、自分とは異なる思いが走り抜けた。それはクワトロが失念しているほんの一瞬の出来事であり、そして抱き締める間もなく通り過ぎて行っ た。
        『アムロ』という形そのままに。
        『アムロ』が去った後、クワトロの中に留まるのは、どこか怒ったような、戸惑いとも期待ともとれる彼の思念。



         ‥‥‥あなたは俺を───なのか‥‥‥?

         どうしたら‥‥いい‥‥‥?



        清浄な、それでいて所在なげな不安定に揺らめく淡い波の色彩。束の間の出来事にもかかわらず、それは暮れの空に広がる残照のように、クワトロの中で長く尾 を引いていた。



         ───貴方は俺をどうしたいんだ?

        「アムロ・レイッ」

        とっさにかけたクワトロの声に、遥か先を行くアムロが振り向く。なんのてらいもない、ごく自然な仕草だった。
        彼は自分が引き起こした出来事に気づいていないのか?
        今の彼は皆の前で見せる大人の顔。だが私は知っている。もうひとつの顔は‥‥‥。
        無重力に身体を任せ、クワトロは上昇するアムロを追いかけた。

        「?」

        驚くアムロの足を掴み、手を掴む。そして自分の元にその身体を引き寄せると腕の中に囲みこむ。それからクワトロは逃げる間を与えず、モビルスーツの影にす るりと身を潜ませた。










        どちらが先に心を寄せたのだろう。
        触れ合った唇は柔らかく温かい。
        その温かさに、相手も同じ人間なのだと今更ながら身近に感じる。

        シャア‥‥‥。

        アムロは呟いた。

        「君を抱きたい」

        耳もとで囁かれる。
        自分はどこかでそんな答えを知っていた。
        それでもくらくらと目眩がした。精一杯の矜持を見せる。

        「ストレートだな」

        「いかんかね。君にはそのくらいの方が良いと思ったのだが」

        注がれるクワトロの視線をアムロは見つめ返した。







         * * *
         





        戦場から戻ったばかりの身体はうっすら汗をかいていた。
        シャワーを、そう言って離れようとするアムロを制し、クワトロはブライトへの報告もそこそこに、アムロの自室へと彼をうながす。

        「余裕がないな」

        からかいを込めてアムロが言う。

        「何とでも言いたまえ。シャワーを浴びたら頭が冷えました、などと言われたくないのでね」

        その言葉にアムロの口から、屈託の微塵もない本物の笑いが溢れた。

        暗証番号を素早く打ち込み、開いたドアからアムロが先に一歩を踏み入れる。番号をクワトロの視線が追っていた事をアムロは思い出した。

        「これからは不定期に暗証番号を変えなくちゃいけないな」

        「それは私の侵入を見越しての事かね」

        「さあ」

        室内に入ると、二人はすぐに抱き合った。汗に混じって互いの体臭がのぼり、どちらの鼻孔もくすぐる。たったそれだけの事にひどく興奮する。下肢が熱くなる のを二人は感じた。

        「アムロ」

        「何も聞くなよ」

        口付けの余韻で微かに震えながら、早口でアムロは制した。
        クワトロが言いたい事は分っていた。だが、頭で考えるのは後で良いのだ。でなければ己がいったい何をしようとしているのか、今ここで正視したら、きっと自 分はいたたまれなくて逃げ出してしまうだろう。それではまた同じことの繰り返しだ。地球から遠い今、わざわざ自分達からしがらみを思い出す必要はない。
        アムロはクワトロの、クワトロはアムロが望む物をおそらく知っている。その気さえあれば与えられるというのなら、そして手に入るというのなら受け入れてみ よう、そう思った。だから‥‥‥‥。

        「私達は無駄に考え過ぎたか」

        アムロの思惑を感じ取ったクワトロが緩やかに笑う。
        こんな風に抱き合う事も、素直になれば出来るのだ。考え過ぎるのは大人の悪い癖だ。この先の事は、これから考えていけば良い。

        「あんたの事なんて呼べばいい?」

        クワトロ?それともシャアか?
        俺は2人のあんたを知ってるんだけど‥‥‥。

        アムロの本気とも冗談ともつかない言葉に、クワトロは答えは返さなかった。
        かわりにアムロの額にかかる癖のある髪をかきあげた。傷のない、白くなだらかな額だった。そこに思いを込めた口づけをひとつ落とす。







        **************







        2人が接触した時間というものは、生きてきた人生の長さにくらべると実際はとても短い。長いと感じるのは、互いに心と身体に刻まれた少女の存在が深いから だ。そして失った共通の悲しみのせい。
        あれから時は過ぎた。再び出会った自分達はどこに向かっていくのだろう。互いの子供の頃やそれからの事、これからの事。いつの日かそんな話をする時も来る だろうか。
        そんな未来だとしたら、その頃の自分達は幸せという事だ。







        アムロの肌に幾つもの印を落とす。今はまだ所有の印とはなりえないが、そうなることを望んで肌に刻む。
        シャアを見上げるアムロの顔は、彼の与える刺激に上気して色を放っていた。
        好ましい、そう思ったあの日から、幾度もこの情景を思い描いてきた。夢にまで見るほどに。
        これが最後だとは思いたくなかった。その思いが更にアムロの身体へとシャアを固執させていく。

        「シャ‥‥シャア!」

        アムロはシャアの名を呼び続けた。
        羞恥を感じる余裕さえアムロにはなかった。早急とも、激しすぎるともとれるその行為に、アムロの口からは悲鳴にも似た声ががとめどなく流れる。しかしそれ さえもシャアの欲求をますます高ぶらせる刺激でしかないのか、アムロはシャアに愛され続けた。
        自分はどこかで知っていた。はずである。だから一歩踏み出した。何が出てきても流せるくらい、自分は大人だと思っていた。
        だが現実には‥‥‥。

        「‥ぁあ‥‥。‥‥はっ‥‥‥ぁっ」

        心にも身体にもシャアが入り込む。
        恐慌のあまりとっさに作った壁など、シャアのアムロの許容を超える思いの前には用をなさなかった。
        誰にも明け渡した事のない場所にも時に優しく、強引にシャアの存在を刻み込まれていく。慣れぬその感覚にアムロは怯え、そして救いを求めしがみついた。そ して身体の最奥にシャアを感じた時、とうとうアムロは泣いた。
        苦しいからなのか嬉しいからなのか、あるいは快楽の強さゆえに泣くのか。それすら分らないまますすり泣いた。
        シャアが求めるだけアムロも求めた。
        そうしなければシャアという存在に飲み込まれそうだった。

         アムロ‥‥‥私のアムロ‥‥。

        取り憑かれたようにシャアの口から自分の名がこぼれる。
        答えるように口づけを返した。
        そうやって幾度も二人は抱き合った。







         * * *







        激しい情交の後に訪れた静かな時を二人で共有する。
        目を閉じ、シーツの中で肌を寄せ合っていると、互いの規則正しい心臓の音が、呼応しているのがわかる。伝わる温もりの心地よさに、離れがたさを二人とも感 じていた。
        欲しい‥‥‥。
        シャアの中のアムロを求める欲求は、今もとどまるところを知らない。
        熱に浮かされたようにアムロの身体に唇を落とし、自分の知らない場所などないよう、身体の隅々まで暴き出していった。必死で取り繕おうとする心さえ開かせ た。それでもまだ足りなかった。

        (こんなにも私は飢えている)

        自分は快楽だけが欲しいのではないのだ。
        アムロに欲されたかった。
        シャアはアムロというかけがえのない存在が欲しかった。

        「これじゃ鍛えるどころかますます疲れるだけだな。睡眠不足も解消されそうにない」

        シャアの物思いは、アムロの甘い睦とはほど遠い言葉に中断された。幾分低い位置にあるアムロの顔を見る。
        照れもあるのだろうが、恐らく彼が持つ本来の性分の一端なのだろう。情交の時垣間見せた扇情さとはうってかわって、その口調は飾る事を知らない子供のよう だ。
        大人のようで子供のアムロ。そのアンバランスさにシャアは目を細めた。
        こんな時に彼に子供を見てしまうのは、なまじ自分が少年のアムロと出会っているせいだろう。それでもアムロのその言葉の意味するものは、二人の関係を肯定 するものであり、シャアを十分満足させるものだった。
        悪くはないな。
        そこでシャアは自らの思考に気がつき、小さく笑った。
        甘い睦とは‥‥。
        もう、恋人気取りか。らしくないとは思ったがその発想はシャアの荒ぶる心を潮のように満たしていく。

        「そのうち慣れるさ」

        「‥‥‥こんなもの慣れてもな」

        男としては嬉しくない。シャアの嬉しそうな言葉に、憮然とした面持ちでアムロは答えた。
        悔しい事に手足を動かす事すら難しいほど、アムロはぐったりと疲れていた。シャワーを浴びるにもシャアの手を借りなければ立てない始末だった。その後の恥 ずかしさといったら‥‥‥。全てを見せてしまって今更とはいうものの、これは悔しい以上に情けない。だいたいが、いい大人が飛ばし過ぎなんだ。シャアも、 俺も。
        痛いのは嫌だろう?
        シャアに耳もとで囁かれ、じろりと冷たい視線を返す。

        「言いたい放題言ってくれるよ。これは俺の身体なんだぞ」

        「ああ。しかしこの身体を、私は気にいっている」

        そう言ってシャアは上体を僅かに起すと、アムロを腕の中に閉じ込めた。
        閉じ込められたアムロは、下からシャアを見上げる格好となってしまった。経験した事のない熱に濡れた瞳に見つめられて、つい顔を赤らめてしまう。

        「・‥‥‥恥ずかしいやつだな」

        聞いてるこっちが逃げたくなるセリフだ。恥ずかしいのとかなり悔しいのとで、アムロは嫌みっぽく反論してみせた。しかしアムロの身体にまわされた腕の、 シャアの力が緩む気配はなかった。
        ああ、なんていまいましい男なんだ。なんだかいいようにのせられてしまった気がする。

        「それで君を繋ぎ止められるというのなら、私はなんだってやってやるさ」

        シャアが笑う。それはまた、ニヤリと意地の悪い笑い方で。その表情は妙に人間臭く、またシャアに良く似合っていた。
        そんな表情も出来るんだ‥‥‥。
        赤い彗星と呼ばれていた彼を知るアムロにとって、余裕さえ伺わせるその態度は先刻までのせっぱつまった様子とはえらい違いだったが悪くはない、と思う。
        なんとなく気分が良かった。小さな白い花が一つか二つパカッと花咲いた、そんなくすぐったい気分だった。こんな無体な事をされて嬉しいなんて。
        末期かもしれない。
        そう思ったらなんとなく落ち込みそうだった。

        「どうしたアムロ」

        「なんでもない」

        アムロは首を振ると、ああそういえばと思い出した。

        「あんたはこんな体力も筋肉もない男より、もっと逞しい男がいいんじゃないのか」

        アムロとしては何気なく言ったつもりの言葉だった。しかしそれは予想以上の効果をシャアに与えたらしかった。脱力したようにシャアはアムロの上に突っ伏し た。想像でもしたのだろうか、触れる肌には鳥肌すらたっていた。 
        アムロは笑った。シャアはいったいどんな想像をしたのやら。しかしその想像は、半ばアムロも落ち込ませた。偏見を持つわけではないが、そういった嗜好のあ る者ではない限り、あまり想像するものではない。

        「君は意外と意地が悪いな。ついでに執念深くもあるらしい」

        「あんたのせいだろ」

        体力がないだの、鍛えろだの、言い出したのはシャアの方だ。挙げ句の果てに、押し倒して自分を抱いてしまった。後者については抵抗しなかった自分も同罪な のだが。

        「私はあの時の言葉は後悔していない」

        アムロの肩に顔を埋めながら、シャアが口を開いた。

        「‥‥する必要はないさ」

        真顔に戻りアムロもぽつりと答える。それはシャアに対してだけではなく、自身にも向けたアムロの本心。
        全てはあそこから始まった。
        あの時交わした沢山の言葉は、アムロを案ずるが故のものだという事はわかっていた。それでも自分達は永遠に相容れないと思っていたから、苦しい思いを引き ずって、全てを拒絶していた。
        君を失うのは痛いのだ───。
        あの、シャアの心の内を吐露した言葉も。

        「あの時愛の告白と、君は言った」

        これは愛なのだろうか。

        「形はいろいろあるよ」

        慈しむ愛の形があれば、憎しみに彩られたものまで。受け取る側の取り方でも変わる可変の感情。
        身体を重ねたからといって、シャアと自分の関係が愛かと言われたら、アムロにもはいそうですとは言い切れなかった。だがそれ以外の言葉も浮かんでこない。 ただニュータイプ同志の完全なる共感ではないことは確かで、その事実はほんの少しアムロの心を悲しませた。 
        だからこそ、よりリアルな繋がりを求めたのかもしれない。シャアも自分も。

        「アムロ。私の気持ちを邪魔だとは言ってくれるな」

        「シャア‥‥」

        微かにシャアが震えた。
        シャアの真摯な言葉に、自分も本気で答えなければいけない事はわかっていた。ただ、なんと答えれば良いのだろう。

        「答えは出さなくていい」

        今はまだ‥‥。そう続けられたシャアの言葉は、まるでアムロの心を読んだようだった。

        「ずるいよ、貴方は。‥‥そうやって最後は俺に委ねるんだ」

        「アムロ‥‥‥」

        シャアの背に緩くまわしていた腕にアムロは力を込めた。答えるようにシャアからも抱きしめ返される。

        「否定するならとっくにしてる。それに、こんな事させやしない」

        強く強くシャアを抱きしめる。キスをして、足を絡め、続きを促す。
        きっと俺もあんたと同じ。知りたくて、側にいたい。何よりも俺を知るあんたの場所でなら、自分でいられる気がする。ありのままの自分でいられる。それはと ても気持ちが良いことだ。
        そう思いながら──。



        相変わらずロンド・ベルは賑やかで、戦況も好転とは程遠い。先行きも見えない世界だったが、二人の辿る軌跡だけは見える気がした。




        - 花が咲く -
        (03.05.03 改稿)


        このままだと永遠に仲良しさんなので終わります。
        「君はもう少し筋肉を付けた方が良い。体力もあまりない」
        「この身体を私は気に入っている」
        「恥ずかしいやつだな」
        このたった3行を書きたいがためにえらい苦労を背負ってしまいました。
        この妙に浮いているタイトルはその頃見ていた
        金曜時代劇のヒロインにまつわるナレーターの言葉から。