風に乗る





夜明けの肌寒さは僅かに開いたコクピットハッチを通り抜け、浅い眠りについていたシャアを揺り起こした。

強張る身体は居心地の悪さを訴えていたが目覚めはそう悪くなく、玲瓏な空気のように気持ちは澄んでいた。
全開にしたハッチから外を窺うと、空はまだ陽の昇らない暗い群青。その端から端までの広い空間を砂を流したように星が冴え冴えと輝いている。あと数刻もす れば白い光が生まれ、蒼い世界を駆逐するのだろうが今はまだ星の力が勝っていた。夜と朝の狭間の、夜明けと呼ぶには僅かに早い時刻だった。
シャアは身体を伸ばし、筋肉をほぐした。コクピットから降りると百式の足元を僅かに歩いてみる。この時刻やるべき事はたいして見当たらなかった。地上は暗 く森の闇に覆われていた。

シャアがいる場所は深い森に覆われた山間部だった。今は夜の暗さに紛れて見えないが森は数キロ先で終わり、その後はなだらかな弧を描く草原 が続いている。ダカール近郊にはそんな地形はないはずだった。そして空の色も空気も明らかにシャアの知るそれらと違う。
この状況は自分だけではないだろう。
あの時マクロスシティ一帯にいたプリベンタ−の者達全てが同じような状況に置かれているはずだ。
シャアは最善と最悪のシナリオを常に持ち合わせている。出来る事なら認めたくはなかったが、おそらく自分達はシュウ・シラカワによって地球なのか異星なの かもわからないどこか別の世界に機体もろとも飛ばされたのだ。

百式もまた百式の計器類にもべつだん異常は見られなかったが、結局昨日は散在した仲間達を見つける事は出来なかった。この先右も左も分から ないこの場所で動いているだろう彼らを探すのは容易でないに違いない。

「焦りは禁物か」

自らに言い聞かせるように口にのぼらす。
守るべき人間が少なからずいる以上、一刻も早く元の世界に戻ねばならない。地球に降り掛かる衝撃波を阻止するためにも、そしてシュウ・シラカワ、あの男の 真意を知るためにも。
仲間を見つけられない今、焦ったところで答えが出るものではない。
だがそれを知ってもはやる心。
こんな時は一人というのは辛いものだ。
苛立つ心のストッパーにせめて熱いコーヒーでもあれば良いのだが。


それともあの男でも傍にいれば‥‥‥。








「アムロ。今君はどこにいる」



思えば彼は自分にとって不思議な男だった。
穏やかな面にちらちらと激情を滲ませている。強情かと思えばその奥底に硝子の脆さ持っている。生き残るために磨かれた戦いぶりは確固としたものであり、時 にシャアの舌を巻かせるほど。
出会った時少年だった彼は良い男になったと思う。
その男を一時とはいえ、自分の手の中で思うままにしているというのは不可思議な感慨をシャアにもたらした。平素の落ち着いた男の顔と、シャアの腕の中で甘 く息を啜るその艶な姿。まるで別の生き物のようでシャアの琴線を揺さぶり続ける。
ただの仲間などなら肌を合わせる事などしない。恋人だけなら何をおいても寄り添う事だろう。ライバルなら手中に納めたいと思うだろうか。共に歩んでみたい と思うのは。憎しみに近いこの思いは。充足感は。破壊欲は。欲望は。腕を回しその身体の強さを確かめたいと思うのは。

シャアは溜め息をついた。







「私は君に捕われている。これは危険な兆候だ」












頭上を覆う森と空の間にコントラストが生まれていた。
鳥の第一声が始まるのも近いだろう。星は威勢を失い、最初の光が空を貫く。

アムロは近くにいる。
それは昨日から今に続く予感だった。しかし彼の存在というものはどこにも感じられなかった。プレッシャーの手応えもない。
彼だという確かな存在証拠の片鱗が見えさえすれば、それがたとえ僅かであっても自分には判るはずだという自負があったが、それはシャアのそうあって欲しい と思う無意識が見せる浅はかな幻想だろうか。

「いや」

シャアは即座に否定すると挑戦するように不敵に笑ってみせる。

それが幻想だというのなら呼べば良いのだ。



アムロ・レイの本物を。

この自分のもとに。

手に。












「来い。アムロ」

お前なら聞こえるはずだ。私のこの声が。











一条の光と共に涼やかな微風が駆け抜け、空に舞った。


この手の中に。








- 風に乗る -

「たとえばこんな夜の下で」のシャアバージョン。