君の瞳に‥‥
「シャア、地球だ」「ん?ああ」
ぼんやりとガラス越しに暗い宇宙を眺めていたシャアは、アムロの声が示す方向に視線を向けた。そこには漆黒の世界に浮かぶ地球があった。
「それがどうかしたのか」
アムロもシャアもここから地球を目にするのは初めてではないというのに。
「宇宙からじゃわからないもんだな」
何がわからないというのだろう。
「雪さ」
「雪?」
訝しむシャアの視線にアムロが笑う。
「今見えているのは俺たちがいた大陸の辺りだ。あれだけ白ければ遠目でも白っぽく見えると思ったんだ」
その言葉にシャアにもようやく合点がいく。
数時間前まで、2人は地球にいたのだ。
もともと雪深い土地だったのだが、前日雪が降ったばかりのそこは、より一層雪の白さを際立たせていた。そこからずっと南に下り、宇宙港に向かう道すがら も、世界は所謂銀世界というやつで、あまりの眩しさにスクリーングラスのないアムロはいささか辛そうだった。
地上を発ち、成層圏を脱出した後は、2人の乗るシャトルは地球の昼から夜へ進んだ。
時間を逆行していく錯覚。
夜明けの青の世界に生まれるピンクやオレンジ、赤の鮮やかな光彩。夜明けを確かに受け止めながら、しかし再び夜の世界に足を踏み入れながら、そのまま月基 地へと進路を向けたのだった。「地球圏ならともかく、ここからじゃいくらなんでも見えんだろう」
今頃そんなことを言うのも間が抜けている。地上の様子を見るのなら、シャトルが離陸してからいくらでも見れただろうに。
それに地球の表面の半分以上は雲に覆われているのだ。雲間からのぞく色褪せた大陸が、自分達のいた場所だとアムロは主張するが、こんな遠くからではそれも 怪しい。遠目というが、そんな優しい距離でもないのだ。
アムロはなぜ今になってそんなことを言い出したのだろう。「‥‥降誕祭なんて俺たちには関係ないけど‥‥寂しい気もするな」
「寂しい?そうなのか?」
降誕祭という言葉に驚き、寂しいという言葉に少し意外さを感じたシャアが鸚鵡返しに聞くと、アムロは少し憮然としたようだった。
「俺だってそう思う時くらいある」
言葉に少し棘があった。
「地上の華やかさと比べると、ここは殺風景だと思っただけだ」
周囲を見渡したシャアは、地上ではどこにでもあった聖夜を祝う飾りが、ここには一つも見当たらないことに気がついた。
「当日になれば飾りのひとつくらいあるだろう」
「‥‥‥そういう意味じゃないんだけどな」
フォローをしたつもりが、かえって呆れられてしまった。
アムロの視線は相変わらず地球に注がれている。
地上では個々の家だけでなく、基地でもささやかながら祭事にむけて飾り付けされていたものだ。心なしか、人々の顔も明るく、話題には家族や恋人のことがよ く持ちあがっていた。
夜ともなると気の早いイルミネーションが小さな街や基地を灯し、気温は氷点下ですこぶる寒かったのだが、その小さな灯火は縁のないはずのシャアの心にも淡 い光をつけたのだ。
あの星の下には温もりがあった。
飾りだけの問題ではない。
アムロに指摘されて、初めてこの場所が渇いているのだとシャアは思った。「人が月に降りたのは地球が西暦だったころだろ。それまでここは信仰や畏怖のの対象だったり、神、あるいは人が住んでいるとも言われていた らしい」
「人が住んでいるというのは火星だった気もするが、現実の月は生物の住める世界ではなく、クレーターだらけの冷たい星だったわけだな」
「宇宙に出て、外から地球を見ることが多いせいかな。現実を見て昔の人が抱いていた幻想はとっくに失せたはずなのに、なぜ観念から生まれ た、何世紀も昔の神に人は固執するのだろうと思った。もちろん目に見えるばかりが全てじゃないのはわかってる」
「‥‥‥‥」
「神はいない。だから信仰なんてのも持っちゃいない。───でも、貴方とここにいることを考えると、なんてのかな‥‥」
様子を窺うようにアムロの視線がちらりとシャアに流れた。
「ただ理論立てするのもどうかと思う」
「神のおぼし召しか」
「そこまで言う気はないよ」
シャアはアムロを見つめた。
鳶色の瞳の中には地球が青く宿っている。
心穏やかでないものをいくつも抱え持ちながら、同時にこの傍らの存在に愛しさと確かな安らぎを感じる。
星を映すその瞳を、美しいとさえ思った。「アムロ」
「え」
「君の瞳に───」
「?」
「───いや、なんでもない」
──乾杯。
そんな言葉が浮かんだが、シャアは笑みの中にそれを隠した。
なぜ思いついたのかわからないが、その言葉をアムロが喜ぶとも思えず、貴重な空気を壊してしまいそうで言うのが躊躇われた。冷めてしまったインスタントの コーヒー片手では、折角の言葉も格好つかないだろう。「どうした」
アムロがシャアを見つめていることに気がついた。
「貴方の瞳に地球が見えるなと思って」
屈めてもいないのにすぐ間近にアムロの顔が迫っていた。
覗き込むアムロの強い視線にシャアはたじろいだ。それを内に隠して、そういえば月では重力が小さいのだったと思い出す。「たまにはこうして星を見るのもいいもんだな」
そんな大胆なことを言うアムロは(言葉自体はおそらく無自覚だろう)シャアの首に腕を絡ませた。
そのまま顔を近づけ、柔らかな唇をシャアのそれに軽く押しあてる。「‥‥‥つれない」
唇の柔らかさを堪能する間もなく、離れてしまったアムロにシャアが不平を洩らすと、アムロは照れ隠しの笑みを浮べた。
「欲張りだな」
「君はそう言うが、節操は心得ているつもりだ。ただし君に関することではその保証はしないが」
「そこが問題なんじゃないか」
腰にまわされたシャアの腕を、ほら見ろとアムロは叩いた。
さきほどまで地球を映していたアムロの瞳には、シャアが浮かんでいる。
まるでアムロという鏡を介して、自身と対峙するようだとシャアは思った。
その鏡に映る自身の姿は────。また捕われたな‥‥‥。
再び口づけを受けながら、シャアは自覚するのだった。
シャアの瞳の中で地球が輝いていた。
その青さはシャアのものなのか、地球の青さだろうか。
ここからでは記憶を手繰ることしか出来ないが、聖夜にひと足早い雪の降り続くあの街 の、抱き合った夜をアムロは思い出した。
無菌室の質感を匂わせるこの世界で、雪の作る温かな静けさを求めることは出来ないが、今一番傍らに置いておきたいと思うものは、アムロのそばにある。まいったな‥‥‥。
こんな気持ちをシャアに持つ日が来るなんて、人生とは意外性と驚きの連続だ。
この思いを告げる言葉がなくて、だが湧いてくる思いを持て余したアムロは、その代わりというようにシャアに口づけしたのだった。
- e n d -
先日雪が降って積もりましたが、不思議ですね。
温もりをテーマにしたようなお話を書きたくなります。
シャアの火星に人が云々というのは火星人のことです。
未来の宇宙歴では西暦の記録はかなりアバウトだろうということで。
そしてアムロの宗教観(というほどではないけど)は
どうみても2人はクリスチャンではないだろうし、
じゃあどうなるかと考えたらこうなりました。
私には2、3時間で書き下ろしなんて高等なことは出来ませんが
当日アップを目指しました。
あとでしまった〜〜となんだか修正に奔りそうですが。
ところでこの話、最初書きたかったものと違うんですけど‥‥。