月に登る
機内はいたって穏やかだった。
これから待ち受けることを考えると、嵐の前触れといったところか‥‥。
馴染んだ空気を感じる。
「アムロ大尉、準備はよろしいですか」「ああ、いつでもやってくれ」
オペレーターの呼び掛けにアムロはシートベルトを締め直した。
軍用小型シャトルに乗るのはアムロと数名。
今回のネオ・ジオン掃討作戦に携わる者達であり、そのうちの幾人かは月面基地経由でアムロより一足先にロンド・ベル隊に向かう事になっている。アムロはと いえば、アナハイムのMS工場に立ち寄った後、旗艦ラー・カイラムのブライトと合流する予定だった。
シャア・アズナブルを総帥に掲げたネオ・ジオンの台東と宣戦布告は、地球圏全域に混乱を巻き起こすと同時に連邦軍に大きな衝撃をもたらした。
かつて『赤い彗星』として名を馳せたシャア。
彼の素性は地球連邦政府の一方的かつ圧政支配から脱却しコロニー独立の提唱を、そしてニュータイプ論を唱えたジオン・ズム・ダイクンの嫡子である。ダイク ンといえばその思想は今でもスペースノイドの間では堅牢に生き続けていた。連邦政府の抵抗勢力の大半が、元を辿ると彼の思想に辿り着くほどである。
ある意味、連邦としては最も出て来て欲しくない厄介な人物がシャア・アズナブルだった。
アムロが呼ばれたのはそのためだ。
誰もが持つ一年戦争の記憶。
その英雄。
ニュータイプとしてただ一人、シャアに対抗しえる人間として。
それまでアムロを冷遇し続けてきた連邦軍は手の平を返したように、しかし相変わらずの強引さでアムロを召集したのだ。その手始めがまず宇宙へ上がり、対ネ オ・ジオン掃討のために再編されたロンド・ベル隊と合流することだった。
微かに振動が伝いはじめる。
ゆっくりと滑走路に向かうシャトルの動きに合わせて窓の外の景色が移り変わる。
空港の建物もその遠くに広がる空も、どれもが生命力に乏しくトーンを無くしたように褪せて見えた。
それは太陽が雲に覆われているからだけではない。空が、大気が、この世界そのものが汚れている証なのだろう。
不毛な戦いで傷つけられた地球の自浄能力はあとどれだけ残されているのか。
彼の内に見え隠れする焦燥をアムロは知っていた。
エゥーゴのクワトロ・バジーナであった頃の彼は非凡な軍人というより、むしろ迷いに揺れる一人の男としてアムロの目には映っていた。
己の進むべき道、地球とコロニーの間に蔓延る不毛な確執。圧制者とそれに虐げられる人々。ダイクンの名。
エゥーゴに参入したのはそれらを見極めるためでもあったに違いない。その選択は結局連邦に対する新たな失望と怒りを産み落としただけに過ぎないのか。
彼が消息を断ったと聞いた時、死んだと信じる事は到底出来なかったが、このまま現れないで欲しい、そんな思いが胸中をよぎったのも確かだった。
それを思うと、アムロの願いは半分受け入れられ、残りの半分はかなわなかった事になるのだろう。
あの男と再び顔を突き合わせるのかと思うと憂鬱がアムロの心を支配する。
逆にあの男は自分が宇宙に上がる事を歓迎しているに違いない。エゥーゴにいた頃からあの男はアムロを宇宙に上げたがっていたのだから。
彼は変わっただろうか。少なくともモニタ越しの彼はさほど変わっていないように見えた。もちろんアムロが年を重ねたと同じく年相応の姿をしていたが、相変わらずの 美丈夫ぶりを披露していた。
だがその心内はどうなのだろう──。
エゥーゴといえば、あの頃の束の間の交差の間に二人を取り巻いていた熱情はなんだったのだろうかと、時折不思議に思う事がある。
同性であるにもかかわらず、自分を根こそぎ明け渡すほどあの男に溺れていた。
カミーユと強化人間である少女の関係にララァを重ね、胸に湧く思いを肉欲という形で抹消していたとも考えられる。だがそれだけで済まされない思いをアムロ もシャアも抱えていたことは確かだ。怒りや焦躁。
分け合えない哀しみ。あらゆる感情が渦巻いていた。今では過ぎ去った熱夢としてアムロの胸奥深くにしまいこまれているが、時折水面下に現れては言い様のない焦り にアムロを駆り立てる。
自分がこうなら、やはり彼も時には眠れぬ夜を過ごしているのだろう。こんな時だっていうのに‥‥
自分の不謹慎さに呆れる。
周囲はシャアの出現にこぞって浮き足立っていたがアムロはむしろ冷静だった。
予感を持っていたからだろう。
むしろ現実に彼が姿を現わす前のほうが、常に不安を抱えていた気がするのだ。
アムドウラに乗っていた時、おそらく誰よりも近い場所にいたのだろうが多くを語り合うことはしなかった。
多くを語らずともあの時はそれで十分だったのだ。
だが‥‥。
消息を断っていた数年間、シャアは何を見、何を思ってきたのだろうか。
世界中継で戦線布告とも呼べる演説を自ら披露してみせたシャア。
彼は何かを吹っ切ったのだ。
ブレックス准将の死によって必然的に表舞台に押し上げられたダカールの状況とは違う。『───地球の大地にしがみつきいっこうに世界を顧みようとしない彼等こそ、諸悪の元と私は云おう。またそれを知りながら、あえてそれにあ まねく者達。愚者と呼ぶべきであり、偽善者である。私は告げる。今こそ変革の時であると。同志諸君!亡き父、ジオン・ダイクンに代わってこの私、シャア ───』
その言葉を聞いた時、ああやはり。そう思った。
自惚れではなくあれは連邦への言葉であると同時にアムロに向けられたものでもあった。
はやく宇宙に上がってこいとの、宣戦布告。
アムロと少なくともアムロと彼を知る幾人かの者達は気がついたに違いない。
同士にならないのならばと、彼は決着をつけたがっているのだ。
彼と決着をつけねばならないという思いとつけなくてはならないのかという思いは、天秤の両の端に吊り下げられて時に大きく片方に傾き、時に片方にかしぎ再 び均衡を保つ。
彼を理解していないわけではない。
しかし彼の方法は違うのだ。
結局あの男と自分は相容れない道に立っているのだと思わざるえない。
シャア、貴方は何を望む。
シャトルに乗る者の中で生き残れる者ははたしているだろうか。
人一人の命すら助ける事が出来ず、大義の前には死人が出ても構わない、そんな理屈が通るとでも思うのか。
大義の前で踊らされた人々の思いが宇宙には充満しているのだ。
それは恐い事だ。
その痛みを貴方は知らないのか。歪みは歪みを作るんだよ。
それが解らない貴方ではないだろう。
身体を襲っていたGが解け、弛緩する程の開放が訪れる。無重力空間に入ったのだ。
窓を覆うシャッターがゆるゆると上部に消えていくが、窓を見なくてもこの感覚は知っていた。
機内アナウンスが宇宙に出たことを知らせる。
窓の下に地球を認めた。
時に牢獄としてアムロを苦しめていた星は、澄みきった美しい青で輝いている。
そして地球の切れ端から姿を現わしはじめるかつては飛び立つことを夢見た漆黒の宇宙。
今のアムロにとりたてて懐かしさはやってこなかった。地球と宙。
自分に帰るべき場所はあるのだろうか。ふと思い、その事実に胸の内に不安が宿る。
しかしそう思ったところですでに時は動き始めていた。
駆けるしかないのだ。
この手を握って掴めるもの。それはいったいなんだろうか───。
- 月に登る -原作をベースに進めていきますが笹螺風CCAということにしておいて下さい。
シャアとアムロの過去の関係をどうするか‥‥‥。
それで随分悩みましたが(アップ遅れもそのため)とりあえず関係があったということで。