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家の裏手の木立のざわめきにアムロは遅い朝を迎えた。
シャアはいなかった。
階下に降りると居間のテーブルに簡素なメモが残されていた。
どうやらアムロの目覚めを待たずシャアは出て行ったらしい。
語る言葉は少なく、身体だけを求めて翌日には姿を消す男。
あいつは俺を現地妻か何かと勘違いしてるんじゃないだろうか。
用件のみの簡潔なメモ書きからは彼の真意は汲み取れない。
水面でも水面下でも相変らず多忙らしい彼は、会う度に疲れた顔を引きずっていた。
地球と幾多のコロニー群との間を駆け回っているらしい彼に、アムロは「会いたい」と言った事はない。一度も。かわりに「来なくても良い」とは何度も口にし
た。
だが来なくても良いと再三言っているにも関わらず、シャアは訪れる事をやめない。
もっとも彼が元の世界に再び戻る頃に疲れているのは自分の方であって、いたってシャアは元気なのだから、これはこれで良いのかもしれない。あくまで彼に
とっての「良い」であるが。
昨日は先客があった。カミーユだ。体力の回復を待ってカミーユは宇宙にあがると別のコロニーで療養を続けていた。地球の行き届いた軍施
設と比べるといささか心もとないが、地球の重力に捕らえられ、かつてアムロがそうであったように身動きが取れなくなる事を考えると、その方が彼のためにも
良いのだろう。それに宇宙に上がる事はカミーユ自らの希望でもあった。
ああ、それにしても。
アムロはうっすらと笑った。
シャアがあんな顔をするなんて。今思い出しても意外すぎて苦笑せずにはいられない。
出会ったばかりの頃は、若さも手伝ってカミーユの方が何かと突っかかってきていたものだが、昨日不機嫌だったのはカミーユよりむしろ
シャアの方だった。シャアの知らない所でアムロがカミーユと会っていた事が許せなければ、自分が訪れた今日という日にカミーユが来ていた事も許せなかった
らしい。どちらにしてもアムロが誰かと会っているという事が気に喰わないようだ。
勝手な事を、と思う。
だがとばっちりは確実にアムロの所にやってくるわけで、そうそう文句ばかりも言っていられなかった。
昨日だってカミーユが帰った後、アムロは夜通しシャアに付き合わされたのだ。
アムロが最前線にいたころから続くこの関係は、初めの頃は拒めばさらに酷くされた。互いを認めあうようになってからは収まりもついたも
のの、嫉妬も手伝ってか時に執拗な責めを受けた。しかしその生産性のない関係もアムロが戦線を離脱し、このコロニーに住むようになってからは自然消滅の様
相を呈していた。あの雨の日までは。
そう、あの日、シャアの不意の訪問を許してからは日を追うごとに彼の訪れは増えていった。そして関係も雨の日を境に今に至る。
責めを恐れてこの関係を享受しているわけではないが、事が終わった後、独りになるといつも以上にそれはアムロの精神を苛む。しかも前線にいた頃よりむしろ
平和なはずの、今のほうが大きいのだ。日増しに強くなっていく言いしれぬ思い。その方がアムロにとって辛かった。
夏にかけての爽やかな風が吹く季節だった。緑の香りが鮮烈だ。
長引く戦いの中で戦火を免れた数少ないコロニーである。避暑地的役割りを持つため水も緑も豊かだ。よって入植者は少しばかり生活に余裕のある人々が中核を
占める。
繁華街ともなればどのコロニーとも等しく、それなりの猥雑さを持っていたが、アムロの住む比較的閑静な居住区まではその喧噪は届かない。そのかわり近くの
湖畔でキャンプをする家族連れやグループの笑いさざめく声が、風に乗って時折アムロの耳に流れてくる。
それに苛つく自分がいる。
理由は分かっていた。
誰もアムロを知り得ないし、自分もこの世界を受け入れられないのだ。
自分を解れというのがあまいのだろうか。
1年戦争が終わってからの数年を思い出し、苦々しく思う。
あの頃の記憶は時折フラッシュバックとなって、アムロの心を掻き乱す。
白い機体を駆って、生死の境を彷徨っていた時よりも、戦いの輪から外されてからのほうが辛かったのだろう。
実際、人の醜さを教えてくれたのはむしろ後の方だった。
政府にとってはモルモットであり体の良い殺人マシーン。そして民衆にとっては退屈しのぎの使い捨て玩具だった。ガラスの箱に入れられて裸に剥かれた。
あの頃自分はまだ子供だったというのに。
戦いは嫌いだ。
でも一度あの世界を知ってしまった自分はもはやこの世界では異邦人。
それはこの地に降り、生活をするようになって知った事実。
MSに乗っていた頃は死ぬか生きるかの極限状態の中、いやでも生きているという実感があった。だが今は風に揺れる葉がさわさわとたてる希薄な音のように、
生きているという実感が薄い。そして通り過ぎる人々は影絵の人形。薄っぺらで顔がない。
広大な砂漠で人が水を求めてさすらうように、心に餓えを抱きながらこのまま自分は終わるのだろうか。
砂漠のひと雫の水の味さえ知らなければ、一生知らずに済んだのに。
それとも神を信じてみようか。
こんな自分にも楽園の扉が開かれるかもしれない?その掲示はいつ現れる?
それでも。
それでも、ララァを憎む事は出来なかった。
パンドラの箱は重いけれど、捨てる事は出来なかった。
だから、違う水と知って、離れられずにここにいる。
ララァ、ララァ、僕が殺したララァ。
心の中で歌うように少女の名を繰り返す。
そういえば彼女のイメージは音楽だ。湧き出る砂漠の泉。流れる水の音。笑う声は鈴に似ていた。
そして白い鳥。
白い鳥は裏手の湖畔でも見かける。
アムロは思いを吹っ切るようにブランデーをあおいだ。
「ここはあそこじゃない」
そう、ここはコロニーで、自分が勝ち取った自由なのだ。あの白い鳥のように。どこにでも自分は飛べる。
ほんとうに?ほんとうに自分は自由なのか・・・?鳥は自由なのか?
ああ、ひとりはいけない───。
ロクな事をこの頭は考えない。
それでも今日も夜には食事を取り(それが食事といえるのなら)眠れぬ夜を眠り、遅い明日の朝を自分は迎える。
人は心では死ねないのだ。
それとも「アムロ」はよほど生きたいのだろうか。
何杯目か分からないグラスを空けた時だった。人の気配に項垂れていたアムロはゆるりと顔をあげた。
「呆れたな。昼間から君はそんなものを飲んでいるのか」
「なんで、あんたがここにいる。ドックに戻ったんじゃないのか」
会いたくない相手だった。
「ああ、行ったさ。そして戻ってきたのだ」
言いながらシャアはアムロのグラスを取り上げた。
いったいアムロはどこまで自覚しているのだろう。かなりの量を飲んだとみえ、顔色はすこぶる悪い。
返事が出来るのが不思議なくらいだ。
まさか自分が帰った後はいつもこうだったのだろうか。
「戻ったって・・・、用がないならさっさと帰ってくれ。それともこんな俺をまた抱くのか」
「今の君は抱ける状態じゃないだろう。私は君に告げる事があって来たのだ」
「だったら早く言ってくれ。そして帰って2度と来るな」
「アムロ」
身体を交えても心が交わる事はなかった。このコロニーに来てからはむしろ離れる一方だった。
それもアムロのほうからだ。
無言で拒絶し続けるアムロにシャアはただ黙って姿を消すしかなかった。
いったい、そうまでして自分を拒む理由が今のアムロにはあるのだろうか。
シャアはどこまでも自分を拒絶するアムロに悲しみを覚えた。
そして思う。
目の前にいるのは10代のアムロだ。
ララァを死なせてしまった事。NTと祭り上げられ、果ては政府からの人を人とも思わぬ仕打ちに傷つけられたアムロ。
だが潔癖でプライドの高い彼は、優しさも手伝って人前では泣く事が出来ないのだろう。
まともな人の営みも得られず、温もりも得られないまま、アムロはその潔癖さ故、他人だけでなく自分さえも拒んでいるようにシャアには思える。
そんな彼をシャアはひどく愛しく感じずにはいられない。
だからこそ、シャアは戻ってきた。
自分はアムロを手放すつもりのない事を告げるために。
「一緒に行こうと誘っても君は来ないだろう。だから私が来たのだ。しばらくやっかいになる」
シャアのその言葉にアムロは大きく動揺した。
「・・・・・何を、言っているんだよ、あんたは」
嫌なくらい自分の声が震えているのをアムロは感じた。
心が勝手に口走りそうで恐かった。必死に気の効いた言葉を探してみるが何も浮かんでこないことに苛立つ。
その苛立ちのままにその場から離れようとするアムロをシャアはその腕に閉じ込めた。
「放せよ!!」
アムロに巻かれたシャアの腕は、渾身の力でもって暴れるアムロの抵抗にもびくともしない。それがアムロの動揺を怒りへと誘う。
それでもシャアの腕から逃れる事はかなわない。
「なんなんだよ、あんたは。そうやってまたあんたは力でもって俺をねじ伏せるのか!!」
「聞くんだ、アムロ」
そして耳もとで彼だけに届くように囁き続ける。
抱きしめた腕の中でののしり、青白く瞳を燃やすアムロをシャアは静かに見守り、待った。
身体を小刻みに震わすアムロ。怒りよりも寒さに凍える巡礼者のようだ。
ここまで追い詰めた一端は自分にもある。
良いにしろ悪いにしろ、アムロが顕著に反応するのは昔も今も自分だけであるのをシャアは知っていた。
それならば良い方向に、きっと私が転じてみせる。
傲慢だろうが何だろうが構わない。
アムロを失うことに比べたら。
やがて暴れる事に疲れたのかアムロから力が抜け、肩が落ちた。
シャアは癖のある髪を愛おしむようにゆっくりとかき上げ、あやすように何度も何度も撫で続けた。
大きな手に撫でられる心地よさは少しずつアムロの心を解していく。
ほとんど凭れるような形でアムロはシャアに身体をあずけた。
酔いと昨夜の行為でそろそろ身体は限界だった。
───私はここにいる───
抱きしめられて、アムロはおそるおそる抱きしめ返した。
そうしていないと涙がこぼれそうだった。
- 夏の庭 -
2人で暮らすきっかけを考えていて、
傷ついた心を抱えるアムロを考えていたら
こんなになっちゃいました・・・。
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