火曜日のジレンマ
「ほら、来い。こっちに来いってば」みゃあ。
「ほーら、いい子だな。ソーセージ食うか?」
にゃおお。
「そーかそーか」
ギュネイは今まさに食べようとしていたホットドックのソーセージを小さく千切ると、それを比較的奇麗な地面に置いた。見知った顔に相手の猫 も心得たもので、餌にありつけると知るや、警戒の真似事を切り上げとたたたと足取りも軽く彼に近付く。そして差し出されたソーセージの欠片にパクリと齧り 付いた。猫は小柄であるにもかかわらず食欲旺盛で、あっという間にソーセージの欠片を平らげた。
にゃ。
催促されてギュネイは更に千切ってそれを与える。
ホテルの外に面した非常階段の片隅で、青年と小さな猫の暖かい交流が行われていた。「おりこうだなあ。AMUROは」
本日の昼食のメイン1/3をすでに横取りされたギュネイは心の奥の舌打ちを気付かれないよう、優しく優しく声をかけた。
こいつを手なずければ猫好きのあの娘とお近付きになれるかもしれない。そんな不毛な考えにほくそ笑む。人工太陽の浮かぶ空を突き抜け宇宙へと、ギュネイの 心は天にも昇る勢いだ。未来の彼女との甘い甘〜い日々。俺の隣はこんな貧相で怪しい猫ではなくて、とびきり可愛いあの子。彼女はサンドイッチ派だろうか? ギュネイの妄想はとどまるところを知らない。
そのどこまでも一方的な白日夢をぶち壊したのは、地面すれすれから響く限り無く冷めきった声だった。「あのさあ。食べないんだったらそっちの大きな方をくれないかな」
「っ!!」
血の気を引かせながら恐る恐る下を向けば、飴玉のような瞳がギュネイをじっと見上げ、観察していた。
猫が喋っている・・・・・・・・・。
少年特有の甘く、可愛い声で。いや、今のギュネイにとっては悪夢の声か。「おまっ・・・!!アムロか!?」
「そうだけど」
「何が『そうだけど』だ!!アムロならアムロって言えよなっ!!」
「アムロアムロって煩いなあ。あんた聞かなかったじゃないか」
アムロは面倒臭そうに答えると口元をぺろりと舐め上げた。
「それでくれるのくれないの?」
「お前なんかにやる物はひとつも無い!!」
「あ、ひどいな。今までくれたのに」
「!!」
アムロのその言葉に今度こそギュネイは仰け反った。
今までだと??
今までということは昨日もその前も、一週間前も一月前も、猫だと思っていたこいつは『あっちのアムロ』だったって事か???そうとは知らず、猫好きのクエ スに近付くため俺はずっとこいつに大事な昼飯を分け、しかも猫撫で声で話をしていたってのか!!大事な話をしていたって事か〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!
悪夢どころかこいつは、(あ、悪魔・・・・)
当のアムロは貰えないと分かると早速食後の毛繕いを始めた。
それは聞かなければ一生でも黙ってるって事か?知らなければ俺はこいつの目の前でずっと醜態を晒していたって事か!?
ギュネイの懊悩など我関せず。アムロは何処吹く風だ。「性格悪い〜〜〜〜〜っ(最低〜〜〜〜〜!!)」
「ギュネイほどじゃないよ」
前足の肉球で顔を撫でながらあっさりとアムロが言い返す。
こ、こいつ・・・・。聞いてないと思えばしっかり聞いている辺り。いったい誰に似たんだ。ギュネイのこめかみにぴくんとそれは見事な青筋が浮いた。白く なったり青くなったり、赤くなったり青筋まで立てたりと今日のギュネイは忙しい。「それで?非番なのにこんなとこにいるんだ。それってちょっと悲しいよね」
「(ムカッ!猫になってるお前なんかに言われたくないんだよ!!)いいだろ俺がどこにいようと。お前こそなんだよ。そんなに猫がいいなら いっその事人間なんかやめちまえよ。シャアの御機嫌とりなら猫で十分だろ(それとも何か?そんなにシャアの相手が良いってのか!)」
「短絡的だな。オレンジとリンゴ。同一でないどちらかを一生食べるなってのと同じだよ」
「お前なら片方だけで十分やっていけるさ」
「それって褒め言葉じゃないよね」
そう言うアムロは毛繕いに余念がない。今度は前足の先を整えている。時折爪を延ばし丹念に舐める様は、鋭い刃物を研いでいるようであまり ぞっとしない。心の声まで聞いているという事はさすがにないだろうが、淡々としたその語り口調が、かえって何か含みを持っているようで恐い。
「ところでさあ、ずっと気になっていたんだけど見ていないからって親衛隊が「シャア」って呼び捨ていいの?総帥とか大佐って呼ぶんだろ」
「年がら年中そんな事やってられるかよ。それにお前だって呼び捨てじゃないか」
「俺は部下じゃないから」
部下じゃないならお前は何だ!!お前だって人間の時は親衛隊の恰好してるだろが!!
だいいちここはネオ・ジオンと地球連邦政府との交渉会場となってるホテルだぞ。一般人の立ち入りは禁止なんだぞ。
しかし山のように海のように言いたくてもそれ以上口を開いて言う事は出来なかった。
何しろ今までの事を全て知られている以上弱味を握られていると同じだった。有り難くも無い事にメモリバンクなんてものもこいつは身体に持っている。その気 になりさえすればシャアには全て筒抜けなのだ。繋がっている首を自分から切る事はないだろう。「もういい。さっさと行ってくれ」
力なくギュネイはしっしと手を振った。
「しっしって失礼だな。言われなくてももう行くよ。その前にひとつ言っておきたいんだけど、こいつを餌付けしないでくれる。俺、あんたの事 嫌いなんだよね」
「ふっ・・・・」
ふざけるな!!そう叫び出すところをかろうじてギュネイは耐えた。瞬時に沸騰した頭から熱い湯気が出ていた。そのギュネイの座る階段の下を 二人組の若い女性が重い荷物を担ぎながら通り過ぎる。政治報道部の記者なのだろう。二人とも腕章とプレートをつけていた。
「じゃあ、俺行くから。そうそう、クエスって子供は嫌いなんだって」
「!!俺は子供じゃない!!」
にゃあ。
アムロは一声鳴くと庭木の茂るその奥へするりと消えて行った。一瞬遅れてホットドックが弧を描き追い掛ける。「勝手にどこへでも行っちまえっ!!」
怒鳴るギュネイに振り向いた二人の白い視線がとどめのように突き刺さった。
「遅い」「あんたが早すぎるんだ」
責めるシャアに俺は言い返した。
同じ屋根の下に暮らしていて俺の生活知らないのか?と、言いたいところだけど、そしたらシャアはシャアで私の生活を知らないのか?と切り返されそうだよ な。こういう時は黙ってよう。
場所はホテルの敷地内にある庭園の一画。
腐っても鯛。変なやつでも仮にもコロニー代表でネオ・ジオンの総帥だ。厳戒令が敷かれた庭に一般宿泊客は見当たらなかった。
集音センサーを働かせ耳を澄ませばホテル屋上の数カ所に、各階、木立の影に侵入者を監視する者達の微かな息遣い。職務に忠実なのか、それともこの男に忠義 立てしているのか、何かあったときにはシャアの生きた盾になるだろう連中だ。そんな連中の何人がシャアの前にふらっと現れた白い猫が一番怪しいと気付くだ ろう。「職務怠慢だぞ。アムロ」
「護衛なら俺よりもっと有能なプロがいるだろ」
「眠りさえしなければ君ほど有能な護衛はいないと思うが」
「それはどうも」
ベンチに飛び乗り、シャアの横で丸くなる。
ふぁ・・・、俺はあくびをひとつした。
こう天気が良いと眠くてたまらない。だいたいが猫ってものは働くようには出来ていないんだ。
確か気象予報では一週間はこんな天気とか言っていたよな。連邦政府との会見が終わる頃に合わせているのかどうかは知らないけれど、天気が良いにこしたこと はない。猫に転位しているといってもそれは電波で繋がる精神だけで、俺の脳と体は別にある。電波を吸収しやすい雨の日はどうにも調子が悪いのだ。
ネクタイを緩めたシャアの汗の匂いが鼻孔をくすぐる。出会ったばかりの頃は上品な香水の香りが混ざっていたものだけど、最近はご無沙汰らしい。俺自身はそ の香水の主に今も良くしてもらっている。もちろん猫のAMUROの中にいる時だけ ど。
分泌される汗の成分からシャアが比較的リラックスしていることが分かる。「取材のほうはどうだった?二人とも結構美人だったね」
連邦政府高官との会見の後、シャアは地元新聞社のインタビューを受けていたのだ。公用以外で連邦政府の人間達と会いたくなかったらしく(そ れは俺も同感)、取材は外で行われた。俺は取材なんて興味なかったし、親衛隊やらスナイパー達がシャアを護衛しているのを良い事に時間制限付きでぶらりと 散歩していたワケだ。
「”コロニーの若き指導者に直撃取材!!”とか言っていたが、結局はいつも通りの形式張ったものさ。確かに美人ではあったが顔も魅力もアム ロの方が上だな・・・」
「あ、チョウだ」
ふわりふわりと風に乗る様はいかにも俺に飛びついてくれ、と言わんばかりだ。爪がむずむずする。
俺は低く身体を伏せた。じっと身構え一点だけを見つめる。そろり、そろりとベンチの座席が途切れるギリギリまで這い進み、ジャンプ位置を確認。そして俺は 獲物に向かって素早く高く空に飛んだ。ふぎゃ!!
飛び上がる直前、俺の身体はベンチに押さえ付けられた。
準備万端で飛び上がったんだ。かなり辛いものがある。気を削がれた俺は情けない声と共にシャアの手の下で潰れた。フ〜〜〜〜ッ。
「短い命を奪う事もないだろう。それにコロニーでは貴重な生き物だ」
シャアは潰れた俺を片手で掴むと自分の膝に持ち上げた。
んにゃ。
口惜しいけれど確かにシャアの言う通りだ。
ここはコロニーで自浄再生能力のある地球じゃない。地球以上に失う事は簡単で、生み出す事はニ度と出来ない。とはいえ今では地球だってその能力は大幅に失 われている。それもこれも俺達人類のせい。これ以上地球を壊さないため、心の揺りかごを守るためにシャアは奮闘しているわけだ。
シャアに命を助けられた蝶はフワフワと俺達の周りを漂っていた。どこからともなくもう一匹白い蝶が現れ、ニ匹でダンスするように舞い始めた。
猫を膝に抱え蝶を見つめる真っ赤な男。
ネオ・ジオンの総帥という肩書きがなけれなかなり怪しい構図だろう。本人はどこまでそれを自覚してるのか。「あんたって不自由だよね」
「アムロにはそう見えるか」
シャアの手が俺の身体を撫でる。まずいと思いつつ俺は気持ちよさげに目を細めた。
「うーん。なんとなく」
「かつては私もそう思っていたが今ではそれ程ではないのだがな」
「へえ。心境の変化?」
「大義名分よりも身近の幸せに力を得る事もあるのさ」
そしてシャアは笑った。その事についてそれ以上シャアが口を開く事はなかった。俺もこだわる理由はなかったし、さして興味もなかったから会 話はそれで終わってしまった。
「あんたが不自由なその分も俺が目一杯自由を満喫してあげるよ」
俺はシャアの膝の上から彼の青い瞳を見つめて言った。
「アムロ、それは何かちがうのではないか」
「そーかなー」
にゃあ、にゃあ、にゃ〜あ。
「そんな時だけ猫になるな」
ゴロゴロゴロゴロゴロ。
「アムロ。人間に戻らないか」
にゃあ。なんで?
「君にキスがしたい」
「・・・・・あのね」
・・・・・なんでそうなるかな。
猫から人間に戻ったばかりの身体はどうにも重くていただけない。眠りたい衝動に駆られながら俺は隣に続く扉を開けた。
続きの部屋では上着を脱いですっかり寛いだ様子のシャアがソファに座っていた。そして俺を見るとぱんぱん、と自分の膝を叩いた。「・・・・・何」
シャアの言いたい事はすご〜〜〜く良くわかった。だからといって、それはないんじゃないだろうか。
「俺、そーゆー趣味ないよ。今人間だし」
「君は人に戻ると冷たくなるな。やってみると案外良いかもしれないぞ」
「それはないと思うけどな。ナナイさんはどうだったか知らないけど」
「・・・・・・・」
引きつった笑みを浮かべるシャアはどことなく疲れているようだ。あれから部屋に戻る途中で連邦政府の高官と鉢合わせしてしまったのだ。コロ ニー支持率ナンバーワンと言われているネオ・ジオン総帥に取り付き、甘い汁をと画策する連中はしつこかった。シャアは捕まってその後は私的青空会談となっ てしまった。公的会談が予定より難行、長引いているってのに連邦ってのは何をやってるんだ。俺がいた時と全く変わっちゃいないんだから。
あーあ。秘書でもいいからナナイさんのように綺麗な人がいればちょっとは楽しいのに。俺もシャアも。
そして俺はシャアの膝の上にとりあえず座ってみる。
俺の重さを感じないのだろうか。余裕で俺の腰に手をまわしてなんかくる。なんだか悔しい。あ、やっぱりやだなあこの体勢。なんか、俺シャアに慣らされていってないか??
キスを迫ったのはシャアだけど、被さるような体勢はまるで俺の方が迫ってるみたいだ。シャアの口付けを受けながらそう思っていると、足の付 け根になにやら不穏な動き。唇を離し見下ろせば俺のズボンはボタンとファスナーが開いていた。シャツも半分ほどが飛び出ている。いつのまに‥‥‥。
前言撤回。同情した俺が馬鹿だったらしい。
やっぱりこの男は油断も隙もあったものじゃない。
俺の咎める目にも堪えずシャアは堂々としていた。「うそつき」
キスだけって言ったくせに。
「この世界には時には嘘も必要なのさ」
なんの世界やら。
とにかく逃げられないよう、俺の身体はシャアの腕の中にしっかり捕らえられてしまった。
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