rendez-vous
キスを交わす。
ついばむだけのを二度、三度、四度と。
どちらかの部屋。コクピットの内で。あるいは通路の死角でカメラの位置に気を使い、背後に人の気配を感じながら。士官用居住ブロックでアムロはシャアとはち合わせた。どちらも職位は大尉でありMS乗りだ。部屋は近い。視線が絡む時には すでにアムロはシャアの手にエスコートされ、彼の部屋に引き入れられていた。そしてドアが閉じきる前に唇を重ねられる。もしそこに通行人がいたら、部屋に 消えていく二人のエースパイロットの親密な様を見る事が出来たに違いない。
触れるだけの優しい、だが男らしさを感じさせるキス。
シャアは最後にアムロの唇をその熱い舌で舐め上げ、ゆっくりと離れていった。
アムロはそのままドアに背を預け、目を閉じながら余韻を追った。そしてその先を待つ。
こんな風にして部屋で交わされるキスには概ねそれから先があるからだ。その予感にシャアとの逢瀬を覚えたアムロは、身体の奥にひっそりと期待と覚悟を燻ら せた。「‥‥‥‥‥」
だがアムロの予想とは裏腹に、いくら待っていてもそれから先は訪れなかった。それどころか、今まで間近にあったはずのシャ アの気配は、アムロから離れつつあるようだ。うっすらと閉じあわせていた瞼をアムロは開いた。
見ると彼はアムロに背を向け、部屋の奥に向かっているところだった。ほどなく壁に辿り着いたシャアはそこにある机の引き出しを開けると、アムロなどそこに いないかのように何やら探し始めた。当のアムロは独り相撲の気恥ずかしさに、僅かに早い鼓動を押し隠しつつ居ずまいを正すと、そんなシャアに向かって声を かけた。「勤務時間なのか?」
「ああ。忘れ物をしてね、取りに戻ったところだ。君は?」
そこに先程アムロに触れた甘い翳りは微塵もない。その間にもシャアは目的の物を見つけたらく、黒いスクリーングラスを外す と、確認するように探し出した書類に素早く目を通している。
「俺は交代だ。ようやく休める」
「そうか。すれ違いだな」
背を向けながら答えるシャア。意識はアムロより書類の方に集中しているらしい。感情の薄い声に自分の不必要さを感じ、アム ロは部屋を出るべきかと考えあぐねた。
「そうだな。じゃあまあ無理はするな」
やはり出よう。そしてドア口に向かって踵を返した。
「どこへ行く。アムロ」
そのアムロの背にすかさずシャアの声がかかった。立ち止まって振り向くと、書類から顔を上げたシャアがアムロをとらえてい た。
「どこへって、自分の部屋だが」
「休憩ならそう急ぐ事もないだろう」
「大尉はまだ勤務中なんだろう。邪魔は出来ない。それに忘れ物が見つかったのなら、そっちこそ急いだほうがいいんじゃない のか」
「君を追い出さなくてはならないほど、急ぐほどのことじゃない」
急ぐ事じゃないのに俺を無視していたわけか。ぼんやりとアムロはそんな事を考えた。
シャアはもう一度視線を書類に戻し紙面に素早く目を走らせていたが、やがて気が済んだというようにようやく書類を机上に置いた。それから立ち止まっている アムロに長い足で歩み寄った。「拗ねたのか?」
「まさか」
機嫌を窺うようなシャアの物言いが可笑しくて、アムロは口許を綻ばせた。それをどう読み取ったのか、シャアは長い腕をアム ロの腰にまわすと自分の方へと引き寄せた。二人の身体が密着する。
「おい…」
アムロの形ばかりの抵抗は無視された。
ああまただ。そう思っているうちに再び唇を塞がれる。
幾度かに渡って繰り返される啄むような柔らかなキス。僅かに舌が触れ合ったところで唇は離れた。
くすり、とアムロは笑った。
急いではいないという言葉にさっきは勝手な男だと思ったが、今のキスはアムロの機嫌を窺う今の口調そのままだったからだ。
日頃公の場で見せる態度は不遜とも尊大とも受け取められて、反感を買う事も多いシャアだった。だが実際の彼は思いもかけない優しい素振りと臆病さを、時折 こうしてアムロに見せた。彼の見せるそんな様がアムロには可笑しくもあり、くすぐったかった。
そうとは知らないシャアの蒼い瞳が訝しげな視線をアムロに落とした。「いや、なんとなく意外な気がして」
「意外?何が意外なんだ」
分からないと言うようにシャアが眉をひそめる。
「イメージさ、貴方の。昔の印象が強いんだろうな。貴方はもっとこう、何に対しても強引な仕掛け方をするものだと思ってい たのさ」
キスにしても誰かを抱きしめるにしても。そう言外に滲ませる。
「君は私をそんな風に思っていたのか、心外だな」溜め息を付いて言葉を返すシャアに更に笑いながらアムロは言葉を続けた。腰を密着させ、ゆるく抱きしめられたこの形で昔の 話をするのは不思議な気分だった。だが、こんな時だからこそ笑って、気持ちも穏やかに話せるような気もした。
「仕方ないだろ。だってしつこいくらいに貴方はガンダムを追っていたじゃないか。俺はまだ子供で初心者だったんだぜ。強引 どころの話じゃなかった。よくもまあこうして生きているもんだと、今だって思うくらいだ」
「追っていたのはどっちだと言いたいところだが、おかげで君は一人前以上になれただろう。それに私だって君には苦渋を飲ま されたんだからな。そう、君の言う初心者にだ。私のプライドはずたずただったよ。それから君の言葉に少し付け加えると、ガンダムを追っていたのは始めのう ちだけだ。途中から私は中のパイロットを追っていたのでね。ここまで私を追いつめる男の顔を見てみたいと思っていた」
アムロは顔を赤らめた。
もちろんアムロもそしてシャアも、あの一年戦争では人並以上の苦い経験をした。その時の痛みは事あるごとに二人の心を苛み、親密な関係を持った今でも相容 れない摩擦を引き起す。しかしシャアの言葉はそんな事を指しているのではなかった。辛い出来事を差し引いても、むしろ対等の人間としての純粋な興味がアム ロを追わせた理由だとシャアは伝えていた。
シャアの自分に対する執着。
恋愛感情だけで成り立つ関係ではなかったが、こうして身体を寄せ合った状態でそんな話をされると、それこそ熱烈な愛の告白に聞こえてしまう。
知ってか知らずか耳元に唇を寄せられ囁かれる。「私も男だ。劣情はもちろん常に持っている。はっきり言ってしまえば、たとえ君が嫌がろうと強引にでも身体を繋ぎたいと思 う時もある。実際そうしてしまう事もあるが」
シャアのこんな時に発っする甘い声は、たちまちのうちにアムロの腰に、逆らえないたまらなくもどかしい痺れを沸き起こす。 アムロは目を閉じ俯いた。
「だがここは戦艦だ。そう度々羽目を外すわけにもいくまい」
「‥‥‥‥?」
陥落手前のアムロにシャアが次に落とした言葉は、この場の流れにはいささかそぐわない言葉だった。
シャアの言葉に訝しさを覚え、アムロはふと思いを立ち止まらせた。目を開け、そっと頭上を窺う。と、両の肩を掴まれ、アムロはシャアから離された。「シャア」
状況が把握出来ずとまどうアムロを他所に、シャアはその前をドア口に向かって横切る。慌てて呼び止めるとシャアは半身だけ をこちらに向けて振り向いてみせた。
「そろそろ時間切れなのでね」
「‥‥‥‥‥」
「そんな顔をしないでくれ」
なんともいえない顔で立ち尽くすアムロにシャアは一歩だけ近付くと、伸ばした指先であやすようにその頬に軽く触れた。
「良い夢でも見たまえ」
そしてスクリーングラスをかけなおす。アムロははっとして言葉をかけた。
「おい、書類は!?」
「書類?ああ、私が探していたのはこれだ。書類はついでだ」
そう言ってシャアが胸ポケットから見せたのは小さなデータチップだった。
*** ***
「どんな顔をしようが俺の勝手だろ」やはり忙しいんじゃないか。
「‥‥‥何が良い夢だ」
ぽつりと呟く。
悶々とした気持ちと共に、アムロは部屋に取り残されてしまった。
書類などという小道具まで使って、自分はまんまとシャアにからかわれてしまったという事か。
いや、シャアは書類とは言っていなかった。ではアムロ一人の勘違いだったわけだ。だが気持ちとしてはシャアにやり込められたようで釈然としなかった。その 気があるように見せておいて、アムロをその気にさせておいてさっさと出て行ていってしまった辺りなどは、明らかにシャアの方に非がある。
シャアが優しいなんて前言は撤回しよう。なんて勝手な奴なのだろう。「‥‥ったく」
あれ以上何かされなくて良かった。でなければ後戻りの出来ない切羽詰まった状態になるところだった。シャアは今頃ほくそ笑 んでるかもしれない。
「‥‥‥‥‥」
キスで濡れた唇を指先で拭う。こんな時にシャア相手にその気になってる自分も自分だ。馬鹿馬鹿しい。
「これじゃ俺があいつを好きみたいじゃないか」
言ってしまった後で、しまったとアムロは口を噤んだ。赤い顔でこんなことを言ったらそれこそ肯定しているようじゃないか。 唇に触れたままだった指の先を悔し紛れにアムロは噛んだ。そして慌てて指を放す。
まあ、好きでなければ間違ってもこんな事はしないだろうけど‥‥‥。
そしてアムロは一人照れながら、久しぶりの睡眠を享受するためにシャアの部屋を後にした。
*** ***
通路の角を曲がったところでシャアは軽く足を止めた。
常なら用もなく何もない通路に立ち止まる事などまずシャアにはないことだ。そんなシャアを立ち止まらせたのは、後ろ髪を引かれるような思いがまだ心の中か ら抜けきらないからだった。
キスをした後、見下ろした時のアムロの顔を思い出す。閉じた瞼の長い睫毛が目許に優しい影を作っていた。優しい弧で形作られたその顔立ちに気を取られてい る間、まるで自分を待つようにアムロは身じろぎもしなかった。シャアに向けて上向く赤く濡れた唇は先を催促しているようで、このまま流されてしまおうかと も思った。
だがあのまま抱きしめていたら、きっと歯止めが効かなかっただろう。
彼自身はその先も予感していたようだが、明らかに疲れた様子のアムロに更に負担をかける真似はしたくなかった。
アムロのふっくらとした唇はいつもシャアを楽しませる。そのせいだろうか、今まで付き合ってきた誰よりも彼とのキスをより求めてしまう。
抱かなくとも得られる充足もある。そう思って互いに退っ引きならない状態になる前に身体を離した。
いやそれは嘘だ。アムロはなんと言うか知らないが、シャアこそアムロをこの胸に抱きたかったのだ。あの身体をただ抱きしめるの も良いが、抱きしめたらその先が欲しくなる。素肌を重ねあのまま全てを貪りたかった。
しかし、それは出来なかった。
自分達二人にはゆっくりと羽根を伸ばせる機会のなんと少ない事か。その不自由さが更にシャアを執着へと走らせる。お互い辛い立場だな‥‥。
折しもカミーユがこちらに向かって歩いて来るところだった。
「クワトロ大尉。気持ち悪いからやめてください」
カミーユが悪態をつきながらシャアと擦れ違った。
「?」
「顔、やらしいですよ」
そう言い残して去って行くカミーユの言葉に、シャアは自分が口許に笑みを浮かべていた事を知った。
シャアは小さく咳払いをすると、スクリーングラスを掛けなおした。そして確かな足取りでブリーフィングルームへ向かって歩みを進めた。
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