= 6月の雨 =



土曜日の昼下がり。
正午を回ってから降り出した雨が芽吹いたばかりの緑の葉を涼し気に叩いている。
雨の匂いに珈琲の香りが重なり、俺は深くそれを吸い込んだ。

「寒くありません?」

注文を取りに来た店のマスターに声を掛けられ、俺は大丈夫だと答えた。
繁華街を外れた場所に住んでいる友人宅から帰るところだったのだが、途中で雨が降り出した。そして俺は雨をしのぐ場所として坂の道半ばにあったこの店に飛 び込んだのだった。
幾重にも重なる蔦の葉が開いた窓の縁を飾っている。一見個人宅にも見える白壁の瀟洒な喫茶店で、俺はこんな場所があったのかと少し感心した。まったく初め ての通りというわけではないのだが今まで気がつかなかった。
店内にはマスターと俺の二人だけだ。
囁くような外国の歌が静かに流れている。アンニュイなその響きは雨にしっくりと馴染んでいた。
珈琲の香ばしい香りが一段と強くなる。
時間はかかるが本格的に入れた珈琲。それを持って再び俺の前に現れた彼女に俺は声を掛けた。

「こんな所に店があるなんて知らなかったな」

すると彼女は穏やかな笑みを作った。それだけで店内がふわりと明るくなる。店のマスターはすごい美人なのだ。俺は内心ラッ キーとひとりごちた。

「そうね。ここは繁華街から外れているから気付く人は多くないわね」

ふーん。
俺は相槌を打った。

「でもいつもならそろそろ混んでも良い時間なのだけど‥‥」

今日は本当に人が来ないわ。雨のせいかしらね。
窓の外を眺めた彼女はそんな良く分からない言葉を残してカウンターの奥に帰っていった。ひとり取り残された俺は再び窓の外を眺めた。
生憎と行きは本を持っていたが今は何も持っていない(本は友人のものだったからだ)。日頃こんな店に一人で入ったりしない俺は、珈琲を飲む以外何もする事 がなく外を眺めるしかなかった。
幸いな事に俺以外に店に入ってくる客はいなかった。彼女には悪いがおかげで人を気にせずゆっくり寛げる。



雨は相変わらずだ。
それでも幾分小降りになったらしく、大半は男だが傘をたたんで歩く通行人もちらほら見える。
大振りの窓からは店の庭先越しに通りが良く見渡せた。この周辺は店鋪と住宅街の境目という事もあって、住宅もあか抜けた建物が多い。おかげで目の前の通り も小洒落た造りとなっている。
テーブルと椅子が雨に濡れている。天気の良い日はこの庭で飲食も出来るらしい。まさか緑の壁越しに観察されているとは思わないのだろう。通行人達はそれぞ れの歩調と主張で俺の前を通り過ぎていく。
黒い傘、花柄の傘。パステル、赤、幾何学。
女同士、カップル、男同士。雨のせいか人の出は多くないがやはり女性が多いようだ。
そんな通行人をぼんやりと眺める最中、俺はあれっと思った。
一人の通行人が目の前で足を止めたのだ。その通行人には見覚えがあった。
見覚えがあったといっても知り合いじゃあない。20分ほど前にやはりこの道を通ったのだ。若いのか中年なのか顔は傘に隠れて見えないが、男であるのに間違 いはなさそうだ。長い脚が嫌味だと、俺は憶えていたのだ。
男はそこで不審な行動をとりはじめた。屈み込むとなにやら地面を物色し始めたのだ。庭木が邪魔して良く見えないが、そんな様子が俺の座る場所からはぎりぎ り見える。黒い傘と嫌味だと思った脚。そして地面を這っているらしい手。
こんな雨の日に何をやっているのだ。
通行人が不審顔で遠巻きに男を越していく。
誰か手伝ってやれよと思ったが、そういう俺は屋根のある場所で珈琲を飲みながら観察しているのだがら言えた義理ではない。




それからどれくらい時間が経ったのだろう。
さほど長い時間ではなかったと思う。
しかし一心不乱に俺は男を見つめていたらしい。男が立ち上がったのに俺ははっとし、ようやく我に返った。

その時男がこちらを向いた。

「‥‥‥‥」

青い瞳が咎めるように俺を見ていた。


 


  ───ああ、






なんてことだろう‥‥。


  俺は‥‥


傘を降ろした男の端正な顔を雨がしっとり濡らしていく───。







  俺は‥‥







その時、恋をしてしまったのだ。







せつなさと一瞬にして訪れた幸せにじわりと涙ぐみながら、俺は神にも祈る気持ちだった。








- 6月の雨 -
クレヨン社を聞いていて突如思いつきました。
そして頑張って一日で書きました(頑張る事か???)
イメージは80年代頃の少女マンガか。
日本人なのに金髪や茶髪だったり、
高校生なのに王子様や○○の君だったり、
なぜか主人公の相談相手は喫茶店の大人なマスターだったり。
高校生になればまるで異国にも思えるそんな世界があるものだと
子供心に憧れておりました。