たとえばこんな夜の下で
星は宇宙でいやというほど見てきたが、地上で見る星が晴れた夜空のもとでは全天を眩く照らすものだということをアムロは生まれて初めて知った。
かつて数年を過ごしたシャイアン居留置は地球でも戦火を逃れた数少ない土地で、何もないかわりに自然だけは豊かだった。しかし緑は豊かでも、見上げた空は
地球が安寧の世界ではないことを絶えずアムロに教えていた。
晴れた日でも空は霞を吐いたように掠れ、夜空に見える星の数は、アムロが子供の頃見たものよりも更にずっと少なかった。
全ては戦争がもたらした事象にある。大気の汚染や大地の荒廃。迷走する時代を生き急ぐ人々。
地球もアムロが生まれる昔はきっとこのように美しかったのだろう。
天上を見上げてぼんやりと感じた。
空気が美味しい。
そう思える時があることも知った。
「何も解決しちゃいないんだけどな」
空気が美味しいなどと緊迫感のない事を思ってしまった自分に苦笑する。
わずか数時間前までは痛いほど張りつめた空気の中で、アムロはダカール市突入の先発隊の指揮を取っていたはずだった。
市街地は星より明るい光に白く昼のように浮上し、その中心部でプリベンタ−はシュウ・シラカワの乗るネオ・グランゾンと衝突した。激しい戦いが終結したと
思った直後、起こった激しいエネルギーの拡散と衝撃波。
もしあれが夢でないとするならば、以前バイストン・ウェルや冥王星に飛ばされたと同じことが、再び自分達の身に起こったのではないだろうか。アムロはそう
結論付けていた。
ここもバイストンウェルと同じく異世界なのだろうか。枝分かれしている世界のあるいはその一つか。どこか別の星という事も考えられる。地球型惑星。いやこ
の環境は地球そのものなのだが。
気がついた時アムロは昼のただ中にいた。そして今は夜である。
緑に覆われた丘陵地、その先に青く浮かぶ起伏にとんだ山の連なり。小動物はみかけたが人間と思われる人影はなかった。人と呼べる存在はこの世界に生きてい
るのか。
そう離れていないところに仲間がいると思いたいが、プリベンタ−の機影ひとつすらレーダーは掬う事が出来なかった。
こんな時はRXー78のコアファイターのように、単独で広範囲の飛行が可能な小型機が欲しいと思ったが贅沢は言っていられない。むしろνガンダムと一緒に
放り出されて良かったというものだろう。心強い相棒だ。
状況が見えない今、これ以上動くことは得策とは思えなかった。今夜はコクピットの中で夜を明かしたほうが良さそうだ。全ては明日、日の出と共に再び仲間の
探索に出よう。
仲間がいったいどこに飛ばされたかはわからないが、少なくとも数機はそばにいると思いたい。
空腹はサバイバルキットの非常食で補った。万が一を考え摂取は空腹を紛らわす程度に抑えた。
本意に関わらず、この世界に辿り着いたのは何故だろう。
自分達はここでも戦火を拡大しようとしているのか。
出来る事ならそれが自分の思い過ごしであって欲しい。
全天モニタにも索敵レーダーにも目新しい変化は見られなかった。アムロは無駄な体力を使わないように倒したシートに身を任せた。光となるのは計器類が発す
る仄暗い電器光だけだった。先の事も考えて燃料その他は節約しなくてはならない。とはいえ地球時間でいうならこの時間はまだ活動範囲。日が落ち暗くなった
からといってそう大人しくしていられるわけがない。
ブライトはどうしているだろうか。
カミーユや子供達は。仲間達は。
なんのかんのといってもバルマー戦役を生き抜いてきた連中だ。彼らなら大丈夫だとは思うが。
突然訪れたこの静寂は、寝る間も惜しんで動き回っていた自分にとって不意打ち以外のなにものでもなかったが、久しくこんな時間を取っていなかった事を思い
出す。
身体は重力にしばられているものの空を埋め尽くす星のせいだろう。現実の重さに関わらず心は軽かった。
思えばこれは完全な一人だ。そして全てを吸い込むかのような深い静寂も、シャイアン居留地を脱して初めてではないだろうか。あそこは自然に囲まれた檻だっ
た。森の中に身を潜めている今の状況も似ているといえば似ている。むろん今の自分とあの頃を比べるべくもないが。
夜の帳に抱かれてのまどろみ。
月と呼べるものは見当たらなくても、星の明りで真っ暗な闇というわけではない。戦場を離れ、こうして落ち着く時間を得て、ようやくアムロはゆったりと自分
の思考に浸れる気がした。
シャアは、どのあたりにいるだろう。
昼間にシャアの事を考えなかったわけではないが、アムロは故意に脳裏から彼の事を外していた。まずは自分の置かれた環境を確かめなくてはならなかったし、
心配するなら彼以上に心配しなくてはならない沢山の若いパイロット達がいたからだ。
彼は百式に乗っていた筈だ。やはりひとり放り出されているのだろうか。今頃はアムロと同じくコクピットの中で夜を明かそうとしているかもしれないと思う。
シャアの事だ、それも上手くやっているに違いない。
自分が心配していない事を彼は不服に思うだろうか。
「お互い様だろう、シャア」
貴方だってこんな時は俺の事を考えたとしても心配なんてしていないだろう。
見えない相手に向かってアムロは語りかけた。
今のシャアとの関係は意図してなったものではなく自然の成りゆきに任せたものだ。だから最終的にどこに行き着くのかもわからない。いつか決別の時を迎える
事もあるだろう。それが互いの信念に基づいたものなら、その時はお互いを認め合いながら自分もシャアも迷いなく戦うのだろう。譲ることも出来ずただ失うだ
けのそれは悲しいことかもしれないが。
やるべき事を知っている男だ。だからこそ時にそれは非情にすらなりかねない。その実誰よりも痛みを分かる男なのではないか。
シャアはそういう男だと思う。
そんな彼はこの状況をどう受け止めているだろうか。
「悔しいけれどあんたに会いたい気分だよ」
目に映るこの世界は平和そのものだ。星空も申し分ない。世俗を離れたこんな空の下でビールでも飲みながら、シャアと話をするというのも面白いかもしれな
い。自分が相手ではさして話も盛り上がらないだろうが。
こんな時に不謹慎、だろうか‥‥‥。
それはないだろう。
シャアもきっとこんな時はそう思う筈だ。たとえアムロの不遜な考えに呆れたとしても、その後には彼が持つ深みのある笑みを浮かべ賛同してくれる気がする。
サイド6で赤い彗星と初めて出会った日の事を思い出す。アムロはまだ子供だった。わずか五つばかりの年の差が、あの頃シャアを自分にとってどれだけ大きな
大人の男に見せていたことか。
自分がどれだけ必死になってシャアを追いかけていた事かなど、彼は想像すらしていないにちがいない。
いつか話してみよう。たとえばこんな夜の下で。
ララァ、君もそれを望んでいるんだろう?
甘い痛みを伴って胸が疼いた。
空は遥か頭上だというのに宇宙はすぐそこまで落ちていて、アムロを優しく包み込んでいた。
- たとえばこんな夜の下で -
「風に乗る」のアムロバージョン