| あなたとわたしの距離 1 それが恋だと知った時、 アルスラーンがしたことはすぐさまその蓋を閉じることだった。 わずかな隙間さえなくすよう、鎖をぐるぐると巻き付け、そして忘れることだった──。 アルスラーンがエラムを伴い微行から戻ってくると、まるで見計らったようにダリューンが姿を現した。 パルスの若き国王が最も信頼を寄せる黒衣の騎士の登場である。内緒で外出していたことから内心心穏やかではなかった二人だったが、しかし黒衣の騎士の普段と変わらぬ鷹揚とした佇まいに肩の力を抜いたのだった。 お茶の用意を致します、そう言ってひと足先に姿を消したのはエラムだった。彼としては気を利かせたつもりなのだろう。きびきびとした足取りで侍衛長である彼の立ち去った後には、国王アルスラーンとその騎士ダリューンの二人だけが取り残される形となった。 先に口を開いたのはアルスラーンだった。 久しぶりにゆっくり会話をできそうだ。そう思った彼は場所を移そう、そう言って一番近いだろう小庭の四阿にダリューンを誘ったのだった。もちろん敬愛する国王の誘いを、忠節な騎士が断る理由は無い。 陽光を存分に浴びた空気はまだ温かく、花と緑の香りが色濃く匂い立っていた。玉石を敷き詰めた小さな水路が耳に心地良い響きをたてている。その水路の行き着く先には小さな噴水があった。弾かれた飛沫が乱反射を起こし、周辺に星のようなきらめきをまき散らしていた。その傍らを二人は通り過ぎ木陰に設えられた四阿に身を置いた。 ほどなくしてエラムが侍女を従え茶器を持って現れた。 手際良く二人分の熱い茶を注ぎ、小腹用にと先ほど市で買い求めた菓子を二人の前に置く。礼を言うアルスラーンに二言三言返したエラムはひと通りの支度を済ますと、ごゆっくりと言い残して現れた時と同じように侍女を従え植え込みの向こうに姿を消した。 姿が見えなくなるまで見送ったアルスラーンはその視線を斜め前に座るダリューンに移した。 精悍な顔は日に焼けいっそう鋭さを増していたが色の薄い黄玉の瞳は明るかった。アルスラーンと目が合うとたちまち目元は綻び目尻には笑い皺が寄る。 ルシタニアの侵攻により荒廃した都と近隣一帯の回復にはアルスラーンの旗のもと、臣民一丸となって復興に努めてきた。努力の甲斐もあって都は元の美しさを取り戻しつつあるが、道はまだ半ば。破壊略奪は凄まじく、失われたものはあまりにも多かった。それに加え通常の公務である。責務は常に山積の状態だった。そしてかつては王太子と万騎長だった二人は今や国王と大将軍に次ぐ国を守る要。すれ違いも多く、その立場から誰かしらが付き従っているのも良くあることで、私的に二人だけで顔を合わせるというのは久しぶりだった。 アルスラーンとダリューン。 もとより互いの間の信頼は深くあったが、アトロパテネの大敗を機に結びつきはさらに強固なものとなった。それが揺らぐということは些かもないはずなのだが、それでも忌憚なく言葉を交わす僅かな時間さえ忙しさの中に埋もれてしまう今の現状は、アルスラーンに少なくない寂しさを募らせた。そしてそんな寂しさを隠し持っていたアルスラーンにとって、この邂逅は短くともなにより勝る価値ある時間であり、彼はこのささやかな時をおおいに喜んだ。 それは常に傍にあって己を守り通してくれている騎士にしてもそうだろう。彼は昔からアルスラーンを大切にしてくれた。そして甘やかしてくれた。アルスラーンは自惚れではなく、月日の積み重ねによる経験からそう導きだしていた。 二人とも饒舌ではないため弾む勢いはなかったが、最近の出来事からはじまり、季節のこと、忠臣の誰それのこと、互いにのんびりしていられないことに対する愚痴めいたものを茶を飲み、菓子を齧り穏やかな空気の中で伝え合った。 今は穏やかな春の季節が過ぎ、初夏へと移り変わる時期。 風がダリューンの額に落ちるほつれ毛の幾筋かをそよがせるのを、アルスラーンは微笑みを浮かべて見つめた。 ──たったそれだけ。 たったそれだけで幸せな心地になる。 生きてそばにいてくれる。 ただそれだけで。 幸福というその思いだけは、ダリューンも自分と同じ気持ちでいてくれると良いのに‥‥。 アルスラーンはそっと目を伏せた。 そんな穏やかな午後のひと時、あらたまった様子で「陛下」とダリューンが口を開いた。 |