… 花が咲く …






きっかけは些細な事だった。
珍しくクワトロ大尉の部屋で酒を飲んでいた時の事である。
二人ともほどよく酔いがまわっていた。
日々戦闘に追われ、あるいは子供達にかき回され、深刻な用向きから雑多な物まで山積みの責務に覆われた日々。二人とも疲れ気味でもあった。だから常なら張 巡らされているはずの心の壁が、少し開いていたのかもしれない‥‥‥。





「常々思っていた事なのだが、君はもう少し筋肉をつけた方が良いな」

「?突然何を言い出すんだ」

人とは常に一線を引いていると思われるクワトロの、いつになく親密な言葉にアムロは胡乱な視線を投げかけた。

「少し痩せ過ぎだと言っている。体力もあまりない」

「貴方には関係ないだろ。俺は特に不便を感じてない。ほっといてくれないか」

体力がない‥‥‥。そう決めつけられて少しカチンときたアムロは、口調もきつく言い返した。

「そうは言うが大尉。君はロンド・ベルでも要の人物だ。もし今のオーバーワーク気味の生活をこれからも続ける気なら、考慮したほうが良いと 私は思うが。君は自分の限界というものを考えず行動し過ぎる」

「考えてるさ。それにオーバーワークはクワトロ大尉だって同じだろう」

「そこだ、私が指摘したいのは。私はそれなりに体力があるが、君はそうではないだろう。戦いでは何が起こるか分らないのだ。万が一白兵戦に でもなったらどうする?この艦の乗員として子供が何人いると思ってる。いざという時に働き過ぎで戦えないのではまずいのではないのか」

「‥‥‥‥‥」

アムロは押し黙った。なにも指摘なんてしなくて良いだろと思うが、確かにクワトロの言う言葉にも一理ある。
アムロがモビルスーツに乗りこんだのは十五の歳だった。それですら若すぎるというのに、この戦艦には更に年令の下回る子供達が、駆動兵器を駆る戦士として 乗っているのだ。何か起こった場合には、まずは自分達大人が矢面に立たなければならないのは事実である。一年戦争の頃のホワイトベースの二の舞いは避けな ければならない。しかし‥‥‥。

「日頃の鍛練は必要だと思うが」

沈黙するアムロに肯定を読み取ったのか、クワトロの言葉が続く。

「‥‥他のクルーだって、似たようなものじゃないか」

「君は上に立つ者だ、立場が違う。それに技術者の前にパイロットだろう。幅はつくし、線の細さは補えるはずだ」

幅‥‥‥、線が細い‥‥‥‥?

それまで一理ありと、殊勝にクワトロの話に耳を傾けていたアムロの眉がぴくりとあがった。

「シャア‥‥‥。それは俺の背の事を言っているのか」

「?」

微かに部屋の温度が下がったのは気のせいだろうか。アムロの目が座っているように見えるのは、酔いのせいだろうか。  
それにシャアだと?私はクワトロなのだが‥‥‥‥。
そんな疑問にとらわれながら、クワトロは先程まで穏やかだった、アムロの様子がおかしい事に気がついた。

「‥‥‥‥私は、そこまでは言っていない」

「俺にはそう聞こた。それに『そこまでは』という事は、言葉にしなくても思っているって事じゃないのか」

「言葉のあやだ。そういう君にこそ、やましい心があるのではないのか。だから私の話を彎曲し───」

「やましいだって!」

そう叫んだかと思うと、急にアムロは立ち上がった。その勢いで、アムロが座っていた椅子ががたん、と派手な音を立てて床に倒れる。
突然の激高に、クワトロは呆然とアムロを見つめた。

「アムロ。待ちたまえ。激する必要がどこにある。もし私の言い方が悪かったというのなら謝る」

あくまでも冷静に事を納めようとするクワトロに対し、アムロはけんもほろろにその言い分を突き返した。

「謝る必要はないさ。どうせ俺はあんたと比べたら体力はないし、背だって低い。だがその分は他で補ってるつもりだ。俺はまだ倒れちゃいな い。だいたいこの人手不足、資金不足の艦でいつトレーニングしろと?誰だって忙しいんだ。そんな暇ががあったら俺は寝たいよっ」

「君はそんな彎曲した捉え方しか出来ないのか?私は君の身体を心配して‥‥‥」

「その心配がいらぬお節介だと言ってるんだ!!」

延々と続きそうな言い争いに、終止符を打ったのはクワトロだった。つかつかと足音も荒くアムロに近付くと、おもむろにその肩を掴む。そして 振り切る間もなく、アムロが気がついた時には、すでに彼の身体は冷たい床に押し倒された後だった。

「放せっ」

「自分で何とかしたまえ」

冷ややかにクワトロが言い放つ。アムロはその双眸を睨み返した。そしてのしかかる彼の体躯からなんとしても逃れようと、身体を捻り暴れた。 だが要所を押さえられたアムロの身体は、腕一本すら動かす事が出来ない。その事実が一層アムロを憤らせたが、いくら身体を動かそうともクワトロから逃れる 事はついにかなわなかった。抵抗すら出来ない自分の腑甲斐無さに、悔しさのあまり涙が滲む。

「ほら見ろ。私はそれほど力を出してはいない。だが君は身動きひとつ出来はしない」

「!」

「素行の悪い者の中には何をしでかすか分らない連中もいるんだぞ。そんな連中にとって、君なんぞは恰好な餌だと思わないか」

そしてクワトロは睨み付けるアムロの顔に、その美貌を近づけた。

なあ、アムロ‥‥。

耳もとで言い含めるように囁かれ、クワトロの熱い息をかけられたアムロはぴくりと身体を震わせた。
感情もあらわなアムロの言動とは反対に、クワトロの言葉は淡々と続き、そしてどこまでも冷ややかだった。だが衣服越しに伝わる彼の体温は熱すぎるほどで、 感情を押さえた分だけ彼が激高している事は明らかだった。突き刺さる青い瞳は、アムロの閉じた心の内を抉るかのように鋭く痛い。

「‥‥‥あんたは・・・。貴方は、さっき俺にやましい心があるからと言ったな。やましいのは貴方の方じゃないのか?だから俺を、そんな風に 捉える事しか出来ない」

感情の高ぶりがアムロの唇を震わせる。

「‥‥‥事実を言ったまでだ。私は君よりも多くの戦場を見てきたのだぞ。長い軟禁生活で君は大切な時を失った。また何かを失っても良いと言 うのか?」

「俺はそんなに頼り無い男なのか」

「そうではない!」

「ッ‥!」

クワトロのその否定の仕方は、今まで押し殺してきた感情を全て吐露したように荒々しかった。はっとして身を硬くするアムロの前で、しかし続 く言葉は再び押し殺されていた。

「‥‥‥私はどんな形でさえも、私以外の手で君を失うのは痛いのだ」

アムロの瞳がこれ以上ないほどに大きく見開かれた。 

「な‥‥にを‥」

今のはどういう意味なのだ。問いただしげにアムロは視線を返した。だが、クワトロからそれ以上の言葉を聞く事は出来なかった。むしろ視線を 逸らされてしまう。
しばらく続く沈黙の中、口を開いたのはアムロだった。

「まるで愛の告白だな」

ぽつりと呟く。
その言葉にはじかれたように、クワトロが身を引いた。その姿はアムロの言葉に衝撃を受けたように、呆然とした色をとどめている。そんなクワトロをアムロは 見上げていたが、身体の解放に伴いゆっくりと身を起こした。そしてクワトロを気にしながら彼から離れた壁に凭れると、乱れた呼吸と衣服を素早く整える。
落ち着きを取り戻したのか、クワトロは感情の取れない視線をアムロに送っていた。しかしやがてまた辛そうにその視線を外した。

「どうとでも取りたまえ。君の事を心配している事には変わらん」

クワトロからはどこか憔悴し切った、投げやりな言葉が返ってきた。








**************








なかば逃げるようにしてアムロは自室に戻った。
ともすれば震えそうになる手で素早く暗証番号を打ち込み、ドアのロックをオンにする。
彼が追ってくる事はないとは分っていた。だが振り向けば、あの視線がすぐそこにあるような気がして、自室のドアを通り抜けるまで後ろを振り返る事が出来な かった。体裁なんて構っていられなかった。クルー達に会わなかったのが幸いだったというところか。
あのままクワトロの部屋にいたら、自分はどうなっていたのだろう。彼と触れ合っていた部分にはまだ熱が残り、じくじくとアムロの心をざわつかせていた。
酔いの中暴れたせいか、胃の中身が逆流しそうで気持ちが悪い。アムロはふらふらとベットに近付くと、倒れるようにベットに伏せた。すると目眩がひどくなっ た。

なんだってんだシャアのヤツ。馬鹿にして。
シャアのヤツ。シャアのヤツ。シャアの───。

酩酊する気分の中、気を抜くとそんな思考ばかりが頭の中を駆け回る。これが彼意外の他者なら自分もこうまで乱れる事はなかっただろう。笑っ て冗談に済ます事が出来たはずだ。それだけの許容量は持っている。だがアムロにとって彼、クワトロ・バジーナは今も昔もシャア・アズナブル以外の何者でも なかった。
自分が追い続けた男。
あの時のアムロを押さえ込み、見下ろす男のあの視線は、そのまま自分を見くだす男の心情を語っているような気がして、無性に腹がたった。
あの瞳の前では冷静でいられない自分がいる。
こだわりの深さをを思い知らされたようで嫌だった。

「クソッ」

ごろりと寝返りをうつ。

こんな事している場合ではないのに‥‥‥。

具合の悪さがやがてアムロの意識を攫った。
       





どのくらい経ったのだろう、ふとアムロは目を開けた。

「‥‥‥‥」

うつらうつらと考え事をしていたのは覚えている。そのうちにどうやら眠ってしまったらしい。眠ったというより、意識が飛んでいたといった方 が良いかもしれない。
十分かそれとも一時間か。夢を見ていたらしいが、眠る前の延長で、夢の中にもクワトロが出てきた気がする。それはアムロにとって嬉しいものではなかった が、乱れていた心と酔いは随分落ち着きを取り戻していた。
天上からの白い光が眩しかった。ベット脇のスイッチに手を伸ばし採光をひとつ落とす。
伸ばした腕の青さに、アムロは制服のままだったのを思い出した。とりあえず上着だけ脱ぐと、傍らの椅子にぱさりと投げる。身体はまだ睡眠を欲していたが、 思考は眠る事を拒んでいた。シャワーで汗を流したい気もしたが、バスルームまで辿り着く気力が湧いてこない。

(仕方ない‥‥)

アムロは大きく伸びをすると、再びベットに倒れこんだ。

(‥‥シャアの奴)

考えるのはやはり先程のクワトロとのやりとりだった。
アムロは思考が彷徨うに任せた。考えまいと抵抗したところで、どうせ逃れる事は出来ないのだ。だったら悶々といつまでも抱え込むより、行き着くとこまでと ことん心に考えさせた方が良い。そのうち出口に辿り着くだろう。そしてアムロは瞼を閉じた。
休んだ事で冷静さを取り戻した思考は、浮遊感を伴いながらたちまち四方に滑り出した。行き詰まってはまた戻り、別の道を辿りながら答えを求め、前に後ろに と思考はその手を広げ延ばし続けた。
ああそれにしても。
暗い意識の奥底でアムロは思った。

『───愛の告白だな』

何故あんな事言ってしまったのだろう。自分達はそんな軽口をたたけるほどの間柄ではない。あれではまるで自分を受けいれてくれ、そう彼に 言っているようなものじゃないか。彼はアムロのあの言葉をどう思っただろう‥‥。
今さらながら己が発した言葉の持つ意味合いに赤面する。言葉を取り戻す事は出来ないが、こうなったら彼が一刻も早く忘れてくれる事を祈るばかりだ。


───はどんな形でさえも───痛いのだ───


シャアがあんな事言うからだ‥‥‥。

彼は何を思って、あんなことを言ったのだろう。
シャアには負けたくない。そんな気負いとは別に、あの言葉はアムロの心をくすぐった。相手が誰であれ、よほどの事がない限り、必要とされる事を厭う者はい ないだろう。それがあの男ならなおさらだ。
だが、あのシャアがここまで自分に干渉する理由が分らない。確かに因縁のある間だが、与えられたもの、やるべき事をやってきただけの自分に、今なおこだわ るそれほどの価値があると、彼は本気で思っているのか。
『ライバル』と彼も皆も揃って口にする。だがアムロ自身はあまりそう捉えた事はなかった。それを面と向かってあの男に言ったら、いったいどんな顔をするだ ろう。

『君は何も解っちゃいない』

そう言うかもしれない。
お互い変な所は誰よりも良く知っていた。
しかし向こうがその気でも、自分にとってはそこにシャアがいたのであって、シャアがいるのである。それだけだ。
なぜ、なぜ、なぜ、そんな疑問ばかりが続く。そしてまだ消えない触れ合った箇所の温もりが、男の均整の取れた体躯を思い出させ、アムロの中に少なくない嫉 妬を呼び覚ます。
彼ほどの人間なら、自分などよりもっと上手く人を導く事が出来るだろうに。今の時代、理想化されたニュータイプ像は彼にこそ似合う気がする。
自身の考えにアムロは苦笑した。所詮アムロはシャアには成り得ないし、シャアもまたアムロではないのだ。ひとつにはなれない。











彼はこんな自分の事を ─── なのでは?




「!」

突然ひとつの答えが脳裏に浮かび、アムロは飛び起きた。

そんな‥‥。ありえない、そんなはずは‥‥。

その突飛さに即座に否定する。そんな事あるわけないと。けれども思い浮かんだその考えは確信に近く、ああそうかと納得する自分さえいた。そ れがまた、信じられない。
同性である彼に対して、持って当たり前の不快すら感じないなんて。かといって嬉しくもなかったが、狼狽えも嫌悪もしないこの自分はなんなのだ。自分の心さ えアムロは疑問を持たずにいられなかった。

「なんで‥‥」

アムロは途方に暮れたように呟いた。かつての憎しみがすべて消えたとはいわない。心に負った傷も癒されたとはいわない。だがそれはお互いさ まであり、客観的に捉える術をアムロも学んだ。確かに今は、新しい関係を築き上げているところだが。とはいえ‥‥。
とにかく彼が実際どう考えているかという事よりも、自分の中で弾き出されたその突拍子もない、ある意味極論ともいえる答えは、空気が当たり前であるように すとんとアムロの中に落ちてしまった。

「これって、答えというのか‥‥‥?」

答えを見つけようとして、アムロは自分の中にとんでもないものを見つけてしまった気がした。






************** 







自室だというのに、アムロが立ち去った後の部屋はひどく寒々として見えた。倒れた椅子を起すと、彼の温もりを思い出すかのように、背もたれに指を這わせ る。
クワトロが偶然手に入れた本物の木であつらえられた椅子である。有機質特有の暖かさは返ってきたものの、しかしそこにアムロの温もりはなかった。
いまもって甘さ、いや優しさの抜け切らないアムロに、怒りに任せて酷い事をしてしまった。
優しい顔立ちに似合わずプライドの高い男だ。負けん気も人一倍強い。その心情はきっと煮えくり返るほどのものだったに違いない。その通り、表情豊かな彼の 大きな瞳には戸惑いと怒り、悔しさなどがひしめき合っていた。だが感情もあらわの潤んだ瞳は綺麗だった。
最近気がついた事だが、この共同生活の中で自分に見せる彼の態度は、他の者と接する時と比べると弱冠攻撃的だ。軟禁生活から救い出した時の事を考えると、 これは良い徴候といっても良いだろう。あの頃はともすれば内に篭りたがり、彼のあまりの腑甲斐無さに、もはやダメかとも思っていた。
だが彼は見事に立ち直り、一年戦争時のかつて自分を追い詰めたアムロ・レイに戻った。更に時は一人の男として、彼を育て上げた。それは自分にとっても満足 のいくものだった。
ただ、その優しさ故だろうか、どうも心を押さえ過ぎる嫌いがある。人を思い遣るのは良いが、一人で抱え込んでいてはその重さにいつか押しつぶされかねな い。感情を吐露出来るのが自分だけだというのなら、自分に対するそれが怒りでも憎しみでも良いと思っていた。
その自分の思いはただの自己満足だったのだろうか。無意識の優越が、つまらない考えとなって口をついて出てしまった。しかも酔いに任せた思慮のない言葉と して。

(私は何を考えていたのだ)

確かに小柄な青年だ。線が細いのも否めない。『餌である』そう自分は言い放ち、その中に強くあれと願った。
戦争という非常時、人は常に理性的であるとは限らない。恐れは人を狂気に走らせる。万が一彼が捕らえられたとしたら‥‥。
だからといってそれらはあくまで仮定であり、アムロに対して言い重ねた言葉は、男である彼を守るための理由にはならない。
では何故こうも彼の事が気になるのだ。
全身で怒りにうち震える彼に危惧を抱いた。もう一度捕らえられた時、彼は再びそこに留まるのかと。その激情すら地に沈めてしまうのかと。

アムロは物ではない。彼は‥‥‥。

自分なら誰よりも彼を理解する事が出来るのに。そんな自負が、クワトロには──シャアにはあった。それは確信にも近かった。だがアムロがこ の手を拒むだろう事も知っていた。何故?というその問いに答えは今も見い出せていない。
彼は自分の価値を知らなさ過ぎるのだ。それ故の無防備さが、シャアに危機感を募らせ、時に憎らしいとさえ思わせる。それが苛立ちとなってああも自分を怒り に掻き立て、アムロを怒りに追いやる行動に出たのだろう。
何故わからない。何故私を受け入れない。

『私以外の手で君を失うのは痛いのだ』

あの言葉に偽りはなかった。

『愛の告白だな』

シャアの言葉にアムロはそう返した。彼がどんなつもりでその言葉を口にしたのかは分らなかったが、あの時の自分の言葉は、そう、彼の言うよ うまるで愛の告白だ。だからこそアムロの言葉に柄にもなく狼狽えた。だが自分はアムロを愛してはいない。もしこれが愛などというのなら、人の営みの中で築 き交わされる愛などまるで子供騙しだ。
あの時、自分の下に組み敷いたアムロの姿を好ましいと思った。高揚感は本物だった。もし他の誰かにと思うと、いてもたってもいられなかった。

(私は‥‥‥)

愛してはいない。しかし自分はそれ以上に彼を欲している。
それをシャアは自覚した。







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