昼には止むと見せかけた雪は再び勢いを取り戻していた。
ここが人工の、宇宙に浮かぶ儚い宿り木とは、とうてい思えないほどの荒くれようである。
自然をうたいながら自然になり得ない小さな世界。
美しい雪の結晶のひとつひとつでさえ、本来ここで生きる人々にとって無駄には出来ない貴重な資源。
が、管理下から外れたその暴走ぶりはここが人工世界である事を忘れさせ、自然の持つ驚異を太古からの戒めのように人の胸に刻み込む。
数メートル先の視界は見通せなかった。空といわず前といわず全てを取り巻き視界を遮っていた白い壁は、いつの間にか墨を流し込んだ灰色のものになってい る。夕暮れを通り越した暗い色が低い空を覆っていた。
足した薪が燃え始め、ぱちぱちと勢い良くはぜている。
お手上げといった様子で二人とも溜め息を漏らしていたのはつい先ほどのこと。今はそれぞれにこの天候の行方を考えていたところだった。「アムロ。君に言葉は必要か」
それは唐突な問いだった。
「言葉?」
シャアはほんの少し間を置いた。
「──君と共に在るという証の言葉だ」
「‥‥‥‥‥」
アムロは困惑の眼差しを送った。
「それは‥‥」
それまで炎を見つめていたシャアの静かな眼差しがアムロに注がれる。彼の身じろぎに座るソファがきしんだ。
シャアが切り出した「証の言葉」なる意味を、自身の中に落とし込むのに手間取る。アムロはしばらく黙り込んだ。
顔を上げた時、アムロは笑みを浮かべていた。「やめろよ。俺達はそんな間柄じゃないだろう」
視線を外に流すと外界は夕暮れ時を飛ばして夜に移り始めている。窓ガラスの暗く曇っていない箇所に、煤けた写真のように室内と二人の姿が映 り込んでいた。その中に暖炉の炎だけが仄暗く揺らめいている。
アムロは立ち上がると窓辺に近付きカーテンを引いた。冷気がアムロの頬をさらりと撫でる。炎の熱に晒され続けた頬にその冷たさが心地良かった。「アムロ、形はどうでもいいのだ。私はただ君の心が安心するというのであれば、それも時に必要なのではないかと思っただけだ」
「なんだって急にそんな事言い出すんだよ」
「君にとっては急かもしれないが、私は思いつきで言っているわけではない」
落ち着いた色彩のカーテンと、僅かにのぞく外の景色を見遣りながらアムロは内心で舌打ちをした。
この数日間というもの、外の雪は音という音を吸収し、静寂の醸し出す世界となっている。
民家のまばらなこの地にあって、それはこの世に二人しか存在しないという奇妙な錯覚まで引き起こした。自然、そこで生まれたものは二人の間に漂う空気を濃 密なものに変えたが、アムロにとってそれはけして悪いものではなかった。
しかし、一つの言葉として形を成してしまった今、それは急速に現実の重みとしてアムロの前に現れた。
思いつきではないと言うシャア。
アムロがなににというわけでもなく、期待とそれに相反する感情を朦朧と抱えていた事は確かだった。自覚のないままにそんな思いを自分は晒し続けていたのだ ろうか。
冗談では済ませられない深い感情がシャアの言葉の中に見え隠れしていると思うのは、アムロが過敏になっているだけなのだろうか。
いや、アムロの知る限り、彼は冗談でこんな事を口にのぼらせる男ではない。むしろ彼は真摯であり、冗談のうちに流そうとする薄情者は自分の方だ。
視線を痛く背中に感じていた。
それを早く外して欲しとシャアに思い、避けるような自らの行動に苛立ちと情けなさを感じながらアムロは振り向いた。「シャア。もし知らない間に貴方を心配させていたなら謝るよ」
自分達はそんな甘い関係ではない──。
「だから何をどう証立てしたいのか知らないが、言葉なんて冗談でも言うなよ。恥ずかしい」
──ないはずだ。そうやって幾度心の中で呟いてきただろう。
「君にとっては恥ずかしいだけか」
「当たり前だろ。ライバル宣言もなしだぜ。昔、一方的にされてるからな。まさか忘れたとは言わせないぜ。俺はそれだけで充分だ」
「‥‥そうか」
「ああ、そうだよ」
この濃密な空気を支配するのは友人以上に親密な関係に伴う感情だ。ゆえに痛みにも似たほろ苦い甘さが、胸の中の一点から広がるのを止められ ない。
苦痛ではない。だが、受け止めるには苦しすぎた。
この関係を築き上げておきながら、そう思う自分は傲慢なのだろうか。
雪が降ってもいい。いや雨でも構わない。それが自分と外界を遮断するものではなく、もっと自由のきくものならば。
それならアムロは新鮮な空気を求めてここから飛び出していけるというのに。見通しの良い景色が見えただけで、ただ笑ってやりすごす余裕も出たことだろう。「私は無理強いするつもりはない。君がそれで良いと言うのなら、私もそれで良いと思っている」
その言葉が新たなさざ波をアムロにもたらす。
そつの無いシャアの事だ。それも考えていた言葉のひとつなのだろう。しかしその優しさが中途半端な自分を責める無言の刃に今は思える。
こんな自分にシャアは何を思っているのだろう。無性に彼の本音が聞きたいとアムロは思った。「そろそろ何か作るよ」
時刻は夕方だ。夕食を作るのに早いという事はないだろう。
ようやくそれだけを口にする。
「私も手伝おう」そう言って立ち上がりかけたシャアをアムロが押し止めた。
「シャアは座ってろよ。食料も乏しいし簡単でいいだろ?」
言葉はどこかよそよそしく、シャアの耳にその言葉は単に取って付け加えたような印象をもたらした。
アムロの様子に微妙な変化を感じ取ったシャアは知らずに立ち上がっていた。
すると明らかにアムロの空気が変わるのをシャアは肌で感じた。いったい何故?
更にシャアが一歩踏み出すと、その疑念は確かなものになった。シャアが踏み出した分だけ後退するアムロ。一体全体アムロはどうしたというのだろう。つい さっきまで自分達はこの生活を楽しんでいたはずだ。この降り積もる雪さえ肴にしていた。
「何をやっているんだ君は」「なんとなく」
なんとなくと言いながらアムロがシャアに対して逃げ腰でいるのは明らかだった。
突然向けられたその仕打ちにちりちりと胸が焼け焦げるのを感じる。「なんとなくで君は人から逃げるのか」
自身が発した言葉にシャアは心が冷めていくのを感じた。そう、まるでアムロは自分から逃れようとしているようだ。
それでもまた一歩アムロを求めて歩み出すシャアに対して、アムロが示した態度は怯えにも近い。近寄らせまいとアムロは後ずさった。「アムロッ」
「だって、あんたが悪いんだろう」
その言い分はまるで駄々をこねる子供のようだった。
はっとしてお互いを見つめる。
先に逸らしたのはアムロだった。アムロは自らの身体が起す反応に戸惑っているようだった。だが、今のシャアにはアムロの複雑な胸中の変化に気がつけるほど の余裕はなかった。「私のせいか」
アムロは言葉はいらないと言った。それならそれで構わないと自分は言いやしなかったか。
「だからって何故逃げる必要がある」
それなのになぜこんな自分の手からすり抜けるような真似をアムロはする。
突然の不可解な行動にシャアはどうする術も見つける事は出来なかった。
今度こそ縋るような思いで伸ばしたシャアの手を、アムロは取ろうとはしなかった。「アムロッ」
「俺は‥‥俺は、あんたのようにはなれない」
うわ言のような呟きがアムロの口から零れ落ちた。
「あんたは平気でそんな事を口にするが、俺はそんな風には出来ちゃいない」
それはシャアの耳に滑らかに入り込み、胸の奥に眠らせていた感情に火を着けた。
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