『それはそちらの都合というものだ』

『そうだな。悪かった。だが一晩だけ考えてくれないか?
それでも気持ちが変わらないのなら断ってくれていい』

別れ際、男はそう言って暗い闇に消えていった。



voice 3


窓から入る弱い冬の陽射しが、古びた室内を褪せて浮かび上がらせる。

「ふうん。変わった男だな。それで君はどうするつもりだ」

ティーカップの把っ手を軽く摘み、すました仕草でガルマは紅茶に口を付けた。

「さあ」

シャアは言葉を切った。

「どうするも何も、私にあんな得体のしれない男に付き合ってやる義務はない」

「ここまできておいて君はまだそんな事を言っているのか。自分の胸に手をあててみたまえ。とっくに気持ちは決まっているはずだ」

呆れたように大袈裟に溜め息をついてみせるガルマを内心苦々しく思う。
弱味を握られたような居心地の悪さであったが、今から否定したところで隠しようないのだと諦める。

「ガルマは他人事だな」

「それはそうだ。僕は君じゃない。それに君だってそうだろう。僕が今の君の立場になったら君はこう答える筈だ。おもしろいじゃないか、と ね。君にも人間らしい感情があったというわけだ」

勝負がついたと知ったのだろう。ガルマはいつになく満足そうな笑みをシャアに向けた。
いつもやりこめている相手にやりこめられるというのは、シャアにとってなかなか受け入れがたい屈辱だった。ガルマの顔が晴々としたものであればあるほど忌 々しい。
苦笑する事でかろうじてプライドを保つ。
その実シャアの脳裏ではすでにあの男の姿の模索が始まっている。
自分の心の腑甲斐無さに呆れた。








男が指定してきた場所は公園だった。それは街のほぼ中心にある。
この星の史跡や、最初に星に降り立った者達の植民の歴史、テラフォーミングの行程、その他文化に関するあらゆるものがいくつもの建物に分けられ区画され、 管理されている場所である。学生ばかりのこの街に子供は少ないが、定住している者や寄宿している息子や娘に会いに訪れる家族向けに用意された施設もある。
その広大な敷地の一画で、男はすぐに見つかった。
子供達に混じって柵の中にいる羊やアヒルといった幼児向けの、この星ではさして珍しくもない生き物達を夢中なって見つめている。柵に身を乗り出して眺めて いる様は周りのどの子供より熱心だ。そのうち子供を除けて柵を乗り越えてしまいそうだ。
陽は出ているとはいえ、まだ冬である。子供ばかりか動物達もどこか肌寒気だというのに、その男だけ一人浮かれている様は滑稽を通り越して浮いた空気を撒い ていた。
星によっては地球原産生物のいない星もあるが、すっかり移動動物園の虜になっているこの男も、そんな世界の住人なのだろうか。
男が気付かないのを良い事に遠目から観察する。
それにしてもあいかわらずくたびれたコートを羽織る姿は寒そうである。ジーンズの裾からのぞく靴もくたびれて、そして泥だらけだ。どこをどう歩いてきたの かその泥はジーンズの裾にまで跳ね飛び、半乾きの茶色く汚れた水玉の模様を作っている。
薄汚れ、だらしのない格好にシャアは眉を顰めた。暗闇では気にならなかったそれらがいたく気に障る。
なぜあんな男に自分が会わなくてはならないのだ。
後ろめたさがシャアを襲い、引き返そうかと思った矢先、その男がこちらを向いた。まっすぐ差し向けられる眼差しにそ知らぬ振りも出来ないまま視線を交わし てしまう。

「やあ」

逃げるタイミングを掴み損ねたシャアの前に、今気付いたとでもいうように男が駆け寄ってくる。
身なりの良くない男がどこに行くのだろうかと、子供達の親の視線がそこに乗る。奇異の視線からさり気なさを装って、シャアは顔を逸らした。

「来てくれないんじゃないかと心配していた」

シャアの胸中など知ったこっちゃないと目の前に男が立つ。

「来ないわけにはいくまい。私がうんと言うまでどうせまた門の前に立つのだろう」

「うーん。時間があればそうしたいけど」

「?」

シャアがふと寄せた疑問の眼差しには答えずに、男は歩き出した。

「どこへ行く」

「君はどこがいい?」

反対に問い返された。

「あの場所は気に入らなかったんだろう?」

笑いを含んだ声に、男がわざと自分を待たせていた事にシャアは気がついた。おそらく居心地悪げにしている自分の姿を、動物に夢中の振りをし ながらずっと見ていたに違いない。
やられた‥‥‥。
まったく掴み所のない男だ。

「一応言っておくけど、純血種を見たのは初めてなんだぜ。だから見ていた事は本当なんだ」

憮然とするシャアの横でくすぐったそうに笑う。
こうして陽射しの元で見る男の姿はやはり若いものだった。シャアより低い小柄な体躯も手伝って、見ようによってはシャアより若く見えるかもしれない。
初めて会ったのは夏の終わり。
その頃は夕暮れといっても陽は高かった。が、やがて秋が近付き一段と夜が長く、そして冬の訪れと共に一層闇が深くなって以来、この男に持つイメージは闇に 浮かぶ街灯の淡い黄色と星の冴える肌寒い夜だった。
黒いと思っていた瞳が実は明るい事をシャアは知った。
やわらかいと言っても良い眼差しがシャアを見上げている。
わけもなく心臓が疼いたのをシャアは感じた。

「あそこに行こう」

男が指差したその先を視線で追う。
そこにはガラス張りの植物園がひっそりと建っていた。






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