会ってはいけない───。『なぜ』などと新たに問う必要はなかった。
その言葉を聞いた時、すでにそれが遅い事にシャアは気付かさた。シャアは引力に落ちたのだ──。
voice 7
「あいつの言うことなんか、無視すれば良かったものを」
少年の言う『あいつ』とは消えた男の事だろう。シャアの内心の動揺には気付かず、感情の高りからか苛々と言葉を吐き捨てる。
「君はもっと頭の良い奴だと思ってた」
責め足りないとでもいうように、立て続けに少年は冷たい言葉をシャアに浴びせ続けた。それをシャアは黙って聞いていた。
少年の表情は言葉と裏腹に感情がキャパシティを越えたらしく今にも泣きそうだ。感情を抑えようとして抑えきれていない。それを見て逆にシャアは状況を把握 するだけの冷静さを取り戻していった。そして自身の心に起きた変化を改めて思考し、少年は心の内ではすでに泣いているのかもしれないと思う。
なぜ泣く。
何のために、誰のために。「君は何も解っちゃいないんだ」
「‥‥‥」
「──起こってしまったものを、今さら止める事は出来ません」
シャアが少年に応える言葉を見つけている間に、諭すように語りかける者がいた。
二人の視線が同時に入り口へと向かう。
一人の女がドアをくぐり抜けたところで立っていた。深い色合いのスーツに身を包んだ女は少年に向かって軽く頭を垂れる。「ナナイ」
困惑したように少年は瞳を揺らした。
ナナイ──。
そう呼ばれた美女は静かにその瞳を受け止める。「貴方もそれは解っているでしょう。こうしている今も貴方が一番その変化を感じているはず」
一瞬ためらった後、低く掠れた声でああ、とだけ少年は答えた。まるで見かけの姿を通り越し、疲れた男のようだ。
哀れむようにシャアを見つめ、それから答えを求めてまたナナイを見つめる。
ナナイはそれ以上室内に足を踏み入れる気はないようだった。それが少年とナナイの距離を感じさせる。しかし強い信頼を彼女に寄せている事は少年の視線でわ かった。
再び胸にざわついた感触が戻るのをシャアは感じた。それは臓腑に落ちてキリリとシャアを締め付ける。
僅かな時間の間に、シャアの心は急速に少年へと惹かれていた。
彼の一挙一動に敏感になっている自身を、そうと知りながら止める事が出来ない。人並みにそんな感情があったのかと、冷静な自分は場違いな感慨を起こしてい る。「僕が誰か知らないんだろ」
嘲笑うかのように、視線がシャアを向いた。心の内を読んだかのような口ぶりだ。
「薄々は知っているつもりだが」
「じゃあ尚更じゃないか。厄介事は嫌いだろう?君には選択肢が山ほどある。その中のどれかを行けばいいんだ」
シャアの腕は振り解かれた。
* * * *
どうしたものかとシャアは室内に立ち尽くした。走り去った少年の後に残されたのはシャアとナナイ。追い掛ける事も考えたが、その時は後に残ったナナイが シャアの邪魔をするのはわかっていた。それに追いかけたところで今の状態ではますます拒絶されるだけだ。それを思うと、足を踏み出すのが躊躇われた。どち らにしても今からではもう遅い。「二年前──」
冷ややかにシャアを観察していたナナイが口を開いた。
「──無関心を貫いて誰も寄せ付けようとしなかった彼が、珍しく一人の若者の話をした」
扉に背を預け感情の抑揚も少なく淡々と語る。シャアはそれに黙って耳を傾けた。
「それがどういう事か、二人とも知っていたのだろうな」
視線がベットに注がれる。
「お前は隠しているようだが、『能力持ち』なら解るだろう」
気付いていたのか。
心を通わせる事こそしなかったが今なら分かる。少年の手を掴んだ時、彼も男も青年も同類だと知った。
惹かれないはずがなかった。
二年前のその日、男とそして青年はいつかこの日を迎える事を予測していたということなのか。
会えば自分が彼に惹かれないはずが無いと。そしてそれは誰よりも少年こそが知っていた。「彼を庇うのは貴方も同類だからなのか」
シャアの言葉に無表情が僅かに崩れ、ナナイの口元に笑みが浮かんだ。昔を思い出しているのかその笑みはどこか淋しい。
「彼と一緒にするな。私など赤子に過ぎん」
二年前というナナイの言葉に、シャアはその頃の記憶を手繰り寄せた。
シャアが士官学校に入ったのは二年前である。ひと足先に学舎に入っていたガルマに誘われ、ザビ家の支援もあって病弱な妹と共にこの星にやってきたのだ。
その途中、危険区域で惑星間同士の小競合いに巻き込まれた時の事をシャアは思い出していた。旅行客の乗る恒星船の民間護衛機は略奪者達の強襲にことごとく 撃墜され、混乱に乗じてシャアが乗り込んだ駆動兵器もかろうじて撃墜を免れているという危うい状況だった。
あの時戦闘区域に突如現れたFORCE軍の参戦がなければ、戦闘経験のないシャアが宇宙の塵となるのも時間の問題だっただろう。わずか数機が加わっただけ で、束の間のきらめきの光を残して消えていく略奪機の群れ。今までの戦闘が異様に長かったのに比べ、まさに一瞬の出来事だった。
FOECEの一部隊という事以外、所属を示すものはどの機体にも見当たらなかった。母艦も見つからない。しかし彼らが連邦宇宙軍でも突出しているだろうこ とはシャアにも簡単に推測出来た。
彼らとの交流といえばエース機らしい機体のパイロットと、宇宙船の船長の間で交された音声だけの交信だった。それをシャアは宇宙空間に漂いながら耳を澄ま して聞いていた。シャアの機体は駆動部をやられ、身動きがとれなかったのだ。
交信は数分で終わった。用が済んだと見なした不明機は一機一機と宇宙空間から姿を消していった。
無事惑星に到着してから、シャアはネットワークを使って彼らの消息を探したが、彼らについての情報を得る事は出来なかった。
ただシャア達が救けられて数日後、FORCEによって惑星間の紛争は鎮圧。その周囲の危険区域は制圧されたらしい。その結末がどういったものかはシャアに も分からないが、二年が経過した今でもその区域は厳重封鎖されている。「彼は軍人なのか」
「そうだ」
「‥‥‥」
ナナイの答えにその言葉の持つ意味と重みをシャアは考えた。
あの時、シャアは味方機による回収を待っていた。しかし彼の機体を掴まえたのは船の作業機ではなかった。エースの証であるエンブレムをつけた隊長機に拾わ れたのだ。
その時通信装置の向こうから届いた言葉をシャアは今も鮮明に覚えている。その呆れた口調の中に微かに笑いが込められていたことも。
何も出来なかった自分。彼が現れなければ妹も救われなかった。自信を喪失し、虚脱して宇宙に身を任せていたシャアに彼の言葉は強く響いた。
声音こそ違うがあの時の声と少年の感情を押し殺した声が重なる。「私達はあの時会っていたのか」
ではあの時の機体のどれかに男と青年も乗っていたのだろうか。
「門は開いている。戻れない道だが、来たければいつでも来い」
「貴方は反対しないのか。彼は上司なのだろう」
「確かに彼は上司だが、私には私の考えがある」
それだけ言い残すと少年の後を追うようにナナイは姿を消した。
軍の特殊部隊の中でも突出した部隊がある事はシャアも知っている。公には公表されていないが、学校内では能力者部隊というのがもっぱらの噂だ。その力を シャアも妹も持っている。しかしその事実を誰にも明かしていなければ、必要以上にシャアはそれを使おうとは思わなかった。だいいち使う使わないの問題では ないのだ。ただほんの少し人より感覚が鋭いといったものであり、普通の生活で使いまわせるものではない。
その力がシャアを導こうとしている。
彼が何と言おうと、すでに自分はとらわれてしまった。
抗ってみたところで苦しむだけなのは見えている。
あの時からずっと共鳴していたのかもしれない。
だが会わなければシャアはこれから先もその事実を知ることはなかった。見えない糸を手繰り寄せたのは男と青年だ。おそらくシャアが今感じているこの感情 を、二年前にすでに持ちひっそりと殺し続けて来た少年のために。
ナナイも共犯者なのだろう。
でなければ関係者以外入る事の出来ないこの場所に、こうも簡単に自分が入れる筈がない。「またザビ家の名を借りるのか」
それは非常に面白くない事だがそれも仕方ない。使えるものは使わせてもらおう。
シャアの独り言に、誰かが笑った。
室内を見渡したが当然そこにいるのはシャアと青年の二人だけである。「それだけの元気があるなら戻って来たらどうだ。彼もその方が喜ぶ」
誰に言うでもなく宙に向かってシャアは語りかけた。
戻りたくても戻れない哀しみと、シャアに対する微かな嫉妬。
透明な空気の中に感じたそれらは、シャアのただの思い過ごしだろうか。
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